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スタンド・バイ【後】(坂上)

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 翌日、男は彼の死体を見つけた。正確には彼の肉片と血の跡だ。昨日出会った場所からそう離れていない沼地の近くで、ボロボロになったシューズが一足だけ転がっていた。

 これでこの山のクマは人間の味を覚えてしまった。もし次に男が出会ったら、まず間違いなく襲われるだろう。男はうんざりしながら、山を下りるべきか考えた。

「ねえ」

 背中で声がした。驚いて振り返ると、そこには彼がいた。彼は昨日よりも幾分か背丈が伸びているような気がした。

「山を下りるのかい?」

「ああ。君がクマに襲われて死んだかと思ったからな」

 彼の姿を見た途端、言いようのない不快感が男を襲った。昨日会ったときには何も感じなかったはずなのだ。

「でも君が生きているのなら、下りなくてもすみそうだ」

「あんたは、まだわからないのか?」

 彼は左足で何かを踏みつけはじめた。彼は苛立っているように見えた。

「山に残る? そんなこと、何の意味もない。なぜ気づかない?」

「意味のないことなんてない」

「よせよ。ここまで来ておいて一般論かい?」

 彼の口調は昨日までとは変わっていた。別人のようだった。

「僕があんたに問いたいのはね、なぜこんなところまで逃げてきたのかってことだ」

 彼は男の目の前で、飛び散った肉片を拾った。するとそれはぐにゃぐにゃと粘土のように形を変え、彼の右手になった。彼は右手で右手を持っていた。男にはそれがわかった。

「どうして殺さなかった?」

 男は問いかけに答えようとしたが、適切な言葉を選ぶことができなかった。思考の糸が解けている。そうして考えているうちに、目の前の景色が絵の具みたいに混ざっていくような気がした。緑色の常緑樹の葉、岩の表面を覆う苔、ちょろちょろと流れる冷たい湧水、もうすぐ寿命を迎えるうるさい羽虫、時折ボコッと気泡のわく汚い泥沼。すべての景色が間違っているように見えた。

男は瞬きをした。文字通り一瞬のことだ。その瞬きの後、二人は線路の上にいた。崖から見えた橋とも違う、高く土の盛られた線路だった。その線路は先が見えないほど長く、まっすぐのびている。鬱蒼とした木々が空の光を遮っているのは、男のいた山と同じだった。隣には汚い川が流れている。その脇に、四人の子供が輪になって集まっていた。

「殺す? 彼をか?」

 四人の子供の輪の中心には死体があった。それはまったく動かず、唇は青ざめ、目は行き場を失ってどこでもない場所を見つめていた。死体からは一切の色彩が失われていた。

「違う。どうして殺さなかったんだ?」

 彼は語気を強めてそう言った。男が、見知らぬ子供たちと一緒に死体を眺めている間も、彼はじっと男を睨んでいた。

「彼らのように殺してさえいれば、あんたはこんなところまで逃げてくることはなかった。それだけの知能も、力もあった」

「彼らが殺したのか?」

「聞けよ。あんたの話だ」

 男は、彼がたまらなく不快に思えてきた。二日酔いのような吐き気もした。さっさと小屋に帰ってしまおうとも思ったが、今は小屋がどこにあるのかもわからなかった。仕方なく男はじっと子供たちの様子を見ていた。

「あんたはもう殺すには遅い。無駄に積み重ねすぎた。何の意味もないブロックをな」

 子供たちが二手に分かれた。恐らく、その死体をどこかに運んでいくつもりなのだろう。太っちょと眼鏡の子供たちが茂みの中へ消えていった。

「大抵の人はそうなんだ。無駄なブロックを積み重ねてから、殺す。殺すっていうのは、一度そのブロックをひっくり返すことだ」

 しばらくして、死体のそばに残っていた二人の子供の一人が泣きはじめた。

「当然、積み重ねすぎたブロックを崩せば相応のしっぺ返しが来る。そこにブロックの質は関係ない。その重さだけが襲ってくる」

 もう一人が彼を慰めている。泣き止む気配はない。声は聞こえないが、彼らはとても親密であるように見えた。

「もちろん殺さない人もいる。無駄なブロックを積み重ねるだけの人も。得てしてそういう奴らはそろってゴミみたいなもんだけどな」

 しばらくして別のグループがやってきた。子供たちよりも背の高い、いかにも不良といった感じの青年たちだ。

「あんたは違っていた。やろうと思えば、ブロックが積み重なる前に殺すことができたはずなんだ。殺した後に積まれていくブロックは価値がある。大小の差はあるかもしれないが、少なくとも無駄を積み重ねていくよりはマシだ。こういうのは早ければ早いほどいいんだ」

 太っちょと眼鏡の子供たちも戻ってきて、不良グループと口論になった。お互いに、自分たちが正しいといって譲らないのだろう。

「だから僕はここに来た。僕なら、だるま落としみたいに、あんたの無駄なブロックだけを取り除くことができる」

 しばらく小競り合いが続いていたが、どう見ても子供たちの方が不利だ。不良グループの方が数も多いし、腕っぷしで勝てるはずがない。かといって子供たちも、リーダー格の人物が張り合っているために逃げ出すことができない。ふとっちょの子供なんかは泣きそうな目をしている。その涙は、さっきまで別の子供が流していた涙とは大きく違っていた。

男は地団駄を踏んだ。大きな無力感と憤りを覚えた。それはかつて、感じたことのある感情だった。今すぐにでも、不良に取っ組みかかりそうになった。

「これは最後のチャンスだ。これを逃せば……」

 その時だった。

「あんたは、死を持ってしか死を取り入れることができなくなる」

 渇いた銃声が響いた。子供たちの一人、一番弱気そうで、さっきまで泣いていた子供が銃を両手で構えていた。

「何度だって言う。これが最後だ」

 銃弾は不良たちには当たっていなかった。わざと外したのか、それとも本当に当たらなかったのか。その子供の目は恐ろしいほど据わっていた。男はその目をどこかで見たことがあるような気がした。

「早くしろ。もう終わってしまう」

 ぽたっ、ぽたっ、と何かの滴り落ちる音が聞こえた。その音はとても近くにあるようだった。男は胸に手を当ててみた。ぬるりとしたものが男の右手に絡み付いた。水とは明らかに違う、ネガティブなイメージを取り込んだ水。それは男の血だった。痛みはなく、傷もない。冷ややかで暖かい血だけが、男の身体から流れ落ちていた。

「さあ、殺すんだ。はやく。一刻の猶予も残されていない」

 男は彼を見た。彼は背を向けて、線路の上を歩いていた。それは闇と同化するように、身体の輪郭が徐々にぼやけていった。

ここで彼を見失うわけにはいかない。男は彼を追いかけて走った。線路の枕木に足を取られそうになりながら、彼を後ろから突き飛ばした。突き飛ばされた彼は、顔を線路のレールにぶつけた。骨の折れる鈍い音と共に血が飛び散った。彼の身体ははっきりと認識することができるようになった。

「ここから先に線路はない」

 彼は仰向けになって、鼻の曲がった顔でそう言った。血が目に入って白目が真っ赤に染まっていた。男はそれだけ聞くと、馬乗りになって彼の首を両手で絞めた。男は湧き上がる感情を止めることができないでいた。そしてそれは彼が望んでいることでもあった。線路がカタカタと震えはじめた。

「この線路はおしまいだ。もう、あんたには必要がない」

 首を絞められて呼吸もまともにできないはずなのに、彼は黙々としゃべり続けた。彼の白いTシャツは男から流れる血液で赤く染まり始めた。

その言葉はもう男の耳には入っていなかった。耳と脳が繋がっていない。それだけではない。首を絞めている両腕、立膝をついている両脚、激しい運動に血液を送り出している心臓。男の身体のあらゆるパーツが、脳という司令塔から分離してしまったように思えた。

そのうち、彼の身体がけいれんをはじめた。それは線路の振動とほとんど見分けがつかなかった。しかし彼の顔は至って平常だった。今すぐにでもポケットから煙草を取り出して口にくわえそうだった。

線路の振動は徐々に大きくなっていった。激しいけいれんで、彼の右手が顔を隠すように覆いかぶさった。彼の右手にはやけどの跡があった。

「忘れるな」

 最後にそう呟いて、彼は死んだ。右手で覆われた顔は泣くことを堪えているように見えた。

 男の両手には、くっきりとした死の重みが残った。そこに後味の悪さはなく、ただ達成感と喪失感が入り混じって存在していた。線路の振動は止まらなかった。

「こっちだ」

 誰かの声が聞こえた。

「早く、こっちに来るんだ」

 男がその声の主を探そうとした瞬間、激しい衝撃が男の身体に加わった。男は飛んだ。声を探し求めていた両目は一瞬で移り変わる風景を映した。風景はあらゆる事象に形を変え、男の中のカオスを具現化した。それは男が望んでいた……

 

 

 

 それは夢だったのかもしれなかった。

 

 男は苔まみれ崖の淵に立っていた。隣の禿山が見える。誰か育毛剤でもかけてやればいいのに、と思った。下に流れる川は、今のところは平穏さを保っていたが、次の大雨の時にはどうなるかわからない。意味もなく他人の機嫌を損ねるのは男の悪いところだった。とはいえ、他人の機嫌を悪くする最もな理由も思い浮かばなかった。

 

もう線路と橋はそこにはなかったが、そんなことは男にとってはどうでもよかった。

 

 男は自分の住んでいた小屋を解体して、山を下りることにした。現状でできる精一杯まともな服を着たが、それでも男の印象は仙人から大きく変わりそうになかった。とりあえず、どこかでシャワーを浴びて顎鬚を剃って……。住むところはそれから考えよう。スギの木の上ではカラスがぎゃあぎゃあと鳴き喚いていた。今の男にはそれがカラスだとわかった。

 

 男は山道を歩きながら、鼻歌を歌っていた。歌うのはずいぶん久しぶりな気がした。

 

 うぇんざないっ、はずかーむ……

(RKTY’s 坂上稜線)

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絵描き: 雪松
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