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背中越しのセンチメンタル【前】(坂上)

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 いつからだったかな? オレが放課後、図書館に行くようになったのは。

 クラスメイトが受験勉強のために予備校に通い始めて、放課後に一緒に時間を潰せる相手がいなくなってからだから……この十月で半年くらいか。

 初めのうちは慣れない読書体験に居眠りしてばかりだったけど、今じゃ手ごろな文庫本くらいなら放課後の二、三時間のうちに読破してしまう。慣れっていうのは恐ろしいものだ。

 

「こんにちは」

 

 いつもの窓際の席で文庫本を読んでいると、小さな声でオレに話しかけてくる女の子がいた。

 

「今日も来てくれたんですね」

 

 図書委員の熊耳(くまがみ)。一つ下の高校二年生で、猛々しい苗字とは裏腹に線の細いかよわい印象の女の子だ。

 

「今日は何を読んでるんですか?」

 

 オレは読んでいた文庫本を、ページを開いたまま熊耳に見せた。本のタイトルは『カンガルー日和』。村上春樹の短編集だ。

 

「あ、村上春樹ですね。よく読んでるみたいですけど、お好きなんですか?」

 

 好きかどうかはわからないが、読みやすいからよく手に取る、とオレは答えた。

 

「くすっ、それは好きってことですよ」

 

 熊耳は手を口に当てて静かに笑った。それが熊耳の癖だった。

 

「私も村上春樹はよく読みます。ちょっと過激な部分もあるけれど、なんていうか……劇中の匂いも感じられるような、迫力のある文章ですよね」

 

 言われてみれば確かにそうかもしれない、とオレは答えた。

 オレはまだ、本の感想を文字にして言葉に表せる領域には達していないのだ。

 ただ目の前で繰り広げられている物語を前にして、事態を把握するのでせいいっぱい。

 熊耳もオレのそういう心情を察してなのか、あるいは図書館でこれ以上お喋りを続けるのはよくないと思ったのか。

 熊耳の村上春樹論はそこで打ち止めになった。

 

「それじゃあ、ゆっくり読書を楽しんでくださいね」

 

 熊耳はそう言って受付まで戻っていった。女の子特有のシャンプーのいい匂いが少し、辺りに残っていた。

 

 

 

 

 夕方の六時。オレは図書館を後にして、校舎から少し離れた弓道場へ向かった。

 六時はちょうど部活が終わる時間だ。さっきまではいろんな部活で賑わっていたグラウンドにも、人影はない。終了時間を守らない部活には生徒会からペナルティがあるからだ。

 一説では、この高校に野球部がないのは、その決まりを何度も破ったからだとか。

 事実かどうかはわからないが、ポピュラーな部活である野球部が意味もなく存在しない高校というのはあまり考えられないので、それなりに信憑性は高い。

 まあ、よくある進学校なのだ。

 

「なんだ、待ってたのか」

 

 弓道場の入り口で待つこと十五分。ようやく現れたと思ったらこの台詞だ。

 まったく、オレじゃなかったら失礼にも程があるぞ。

 

「別に待ってくれとは頼んでない。お前が勝手に待っているのだろう」

 

 こんな憎まれ口を叩くのは、オレの幼馴染みの池上だ。

 長い黒髪、凛々しい顔立ち、すらっとしたスタイル。典型的な大和撫子タイプのお嬢様。

 それに加えて由緒正しい家の一人娘ときた。まるで小説の登場人物みたいなスペックの持ち主なのだ。

 とまあ、本来ならオレみたいな一般人とは何の関わりもないはずなのだけれど。

 幼稚園に始まり、小学校、中学校、高校となぜかずっと同じ学校・同じクラス。いわゆる腐れ縁というやつだ。

 

「よいしょっ、と」

 

 池上が重そうに鞄を背負いなおしたので、持ってやろうか? と声をかけた。

 池上は弓道用の道具もいちいち持ち帰っているのだ。弓道場には個人用のロッカーもあるのに、「不安だから」とかいう理由で。

 

「大丈夫だ。お前より身体は鍛えている」

 

 そりゃあな、とオレは答えた。

 ほとんどスポーツも習い事も何もしてこなかったオレと違って、池上は小さな頃から様々な分野に手を出しては優秀な成績を収めてきた。

 オレの知る限りでは、弓道はもちろん、剣道・柔道・生花・習字・そろばん・ピアノ・合唱……。

 オレの知らないところでも何か習い事をしているだろう、と考えると、池上の完璧超人っぷりには頭が上がらない。

 

「それよりもお前、予備校はいいのか? 大学に進学するのだろう」

 

 たぶんな、とオレは答えた。

 今のオレにはそう答えるしかないのだ。

 だって、高校を卒業してしまったら、約束が果たせなくなってしまう。

 その問題をどうすればいいのか、今のオレにはまだ答えが出せないでいるのだ。

 

「もうあまり時間もないのだから、早く覚悟したほうがいいぞ」

 

 時間がない、か。

 確かに、三年生の秋になってまでまともに勉強に打ち込んでいないのは、進学校のうちの学校では本当にオレくらいなものだ。

 

 でも、それじゃあ駄目なんだよ。

 

 オレは何度も池上にそう言ってやりたかった。

 でも、その言葉がオレの喉を通って池上の耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 その日は3年生は授業は休みで、模試を行うことになっていた。

 周りのクラスメイトは休憩時間中は単語帳やカラフルな文字の書かれたノートとにらめっこしていたけど、オレは図書館で借りた『カンガルー日和』をずっと読んでいた。

 本の続きが気になっていたのもあるし、だいたい模試なんてちょっと勉強した程度じゃ点数なんて取れないのだ。

 無駄なあがきをするくらいなら、時間はちょっとでも有効に使ったほうが良いに決まってる。

 

ひそ、ひそ……

 

 そんなことをしていると周りの視線が少々痛いことに気がつく。

 もともとオレ自体、学校中の人気者である池上と交流があるということだけで目をつけられやすい立場にあるのだ。

 そんな人間が周囲と違う行動を取っていれば、敵意を向けられてしまうのは仕方のないことだ。

 オレは気付かないふりをしながら、文庫本のページをめくっていった。

 

 

 

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 夕方になって図書館を出て行こうとしたとき、オレは不意に熊耳に呼び止められた。

 どうしたのかと思って受付にいた熊耳の下へ行くと、彼女は一冊の本をオレに手渡した。

 

「この本、読んでみてください。私のおすすめなんです」

 

 本にはカバーがかかっていて、その場でタイトルはわからなかった。

 そんなことをされたのは初めてだったので驚いたけど、とりあえずお礼を言って本を鞄にしまった。 そして「また明日」と挨拶をした。

 

「はい! また明日」

 

 熊耳はいつになく嬉しそうだった。

 いつも同じような笑顔を見ているはずなのに、なぜだろう……?

 

 

 

 

「なあ、そろそろやめないか?」

 

 帰り道、肩を並べて歩いていた池上がぼそっと口にした。

 やめるって、何を? とオレは聞いた。

 

「私の帰りを待つことだよ。何もせず待っていてもつらいだろう」

 

 その言葉を聞いた途端、オレは思わず歩く足を止めてしまった。

 今までにも憎まれ口を叩かれたことはたくさんあったけど、それは友人同士のふざけあいの範疇だった。

 でも今回は違う。池上は本気だ。

 

「私を待たなければならないから、お前は予備校にも通えないのだろう?」

 

 何を……とオレは言いかけて、何も言い返せないことに気がついた。

 そんなことはない、とオレは言いたかった。

 いや、言わなければならなかった。

 

「知っているんだ、私は。昔、私の両親がお前に頼んだのだろう? 公園で暗くなるまで遊んで、お化けが怖くて帰れなくなってしまった私の手を引いて家まで連れて帰ってくれたのはお前だった」

 

 でも、池上はぜんぶ知っていたんだ。

 

 

「家に着いた私はすぐに部屋まで戻ったが、お前は私の両親にいたく気に入られたな。そしてこんな約束までした」

 

 これからもうちの娘を守ってやってくださいね。

 

「恐らく、小さな子どもだから本気にせず、すぐに忘れてしまうとでも思ったのだろう。でもお前は違った。昔からズボラなくせに、ヘンなところで律儀だったからな」

 

 それだけじゃない、とオレは心の中で思った。

 

「しかし、私のためにお前が自らの未来を閉ざしてしまうのは……つらい。これまで長い時間、一緒に過ごしていたからなおさらだ。私はお前の未来を犠牲にするほど、立派な人間じゃない」

 

 違うんだ、そうじゃない……。

 

「明日からは私一人で帰る。もう私を待つ必要はないからな」

 

 池上はそう言って、夕闇の中を走っていった。

 オレは追いかけようとして手を上げたが、なぜか足を踏み出すことができなかった。

 

(RKTY’s 坂上稜線)

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絵描き: 雪松
物書き: 坂上
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