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背中越しのセンチメンタル【中】(坂上)

この記事は約6分32秒で読めます

 

 

 次の日から、池上はオレの傍に近寄らなくなった。

 事務的な用事で話すことはあったけど、今までのような親密な空気は失われ、どこかよそよそしさを感じるようになっていた。

 オレはその空気がつらくて、意識的に池上を避けるようになっていった。

 

 池上を待つことがなくなってしまうと、オレは図書館にも立ち寄らなくなった。

 放課後に学校に居残る意味もなかったからだ。

 その代わり、いろんな場所を散歩するようになった。

 沈んだ気分を紛らわせたくて、いつも歩かない道を選んだのが初めだった。

 一人で見知らぬ道を歩いていると、自分の人生の成り立ちがまるで別のもののように見えてきた。

 その感覚にすがるように、オレは放課後、様々な場所を歩いた。

 ときには電車の駅三つ分も歩いて、普段使わない電車に乗って帰ったこともあった。

 そして電車に乗っていると、予備校に通うクラスメイトの姿を見ることになるのだった。

 

 

 

 

 ある日の昼休み。食堂に向かってボーっと階段を降りていたオレは、手すりの陰に隠れていた生徒とぶつかってしまった。

 オレは階段の段差に肘をつき、思わず「痛っ」と口走ってしまった。

 

「す、すみません! だいじょうぶですか……あっ」

 

 ぶつかった相手は図書委員の熊耳だった。

 

「久しぶりですね……。お元気でしたか?」

 

 まあ普通だよ、とオレは答えた。

 しかしオレの肘は鈍い痛みを発し続けていた。その痛みが表情に出ていたのか、熊耳は「ちょっと見せてください」と言ってオレの制服の袖をまくった。

 

「ちょっと赤く腫れちゃってますね……。保健室に行きましょう」

 

 いいよ、昼飯食べる時間がなくなるから、とオレは答えた。

 

「いいえ、こういうのは早く手当てしないといけないんです。特に先輩は、いま大事な時期なんですから……」

 

 熊耳はそう言って半ば強引にオレを保健室まで引っ張っていった。

 

 

 

 

「はい、買ってきました」

 

 熊耳はそう言って、グラウンド脇のベンチに座っていたオレの膝の上に菓子パン二つと紙パックのカフェオレを置いた。

 ありがとう、とオレは熊耳に礼を言った。

 

「いいえ、もとはといえば私の不注意が原因ですから……ごめんなさい」

 

 気にしなくていいよ、とオレは言った。

 しかし菓子パンの袋を開けようとして肘を曲げると、どうしてもある程度は痛みを感じてしまう。

 顔をしかめるオレを見て、熊耳は心配そうな表情を隠さなかった。

 

「痛みますか?」

 

 まあ、と答えた。

 湿布を貼ったとはいえ、怪我をしたのはつい今さっきなのだ。そんなに早く痛みがひいてくれるわけがない。

 そんなオレの姿を見て、熊耳はとても申し訳無さそうに頭を垂れていた。

 そんなに気にすることないよ、とオレは逆に熊耳を励ますように言った。

 

「でも……」

 

 そんなに落ち込まれるとオレもやりづらいからさ、と少しおどけた調子で言ってみる。

 別の話でもしよう、と提案してみた。

 せっかく久しぶりにこうやって会えたんだ。

 それにここは図書館の中じゃない。普通に話していたって、何の問題もない場所なのだ。

 

「……そうですね。その方が気も紛れるかも」

 

 そしてオレ達は今までにないくらいよくお喋りをした。

 オレが話をしたのも久々だったけど、それ以上に熊耳がお喋りだったことに驚いた。

 図書館でしか会ったことがなかったから、ずいぶん自制していたのかもしれない。

 自分の話、クラスの話、本の話――そんな話題を思いついた順番に言い合って、二人でよく笑った。

 

「あ、予鈴が」

 

 気がついたときには、お昼休みはあと五分というところになっていた。

 ありがとう、楽しかったよ、とオレは言った。

 

「いえ、とんでもないです。私の方こそ……」

 

 オレはじゃあね、と言ってベンチから立ち上がった。

 そして教室に戻ろうとグラウンドを後にしたところで、熊耳に「あ、あのっ!」と呼び止められた。

 

「今日、放課後に、図書館に来てもらえませんか?」

 

 熊耳の声はどこか上ずっていて、顔が真っ赤になっていた。

 オレはその表情を見て、一瞬のうちに様々な記憶の引っかかり――不思議に思っていた出来事が、すんなりと理解できてしまった。

 オレにも、同じような経験があったからだ。昔、池上に対して……。

 

 

 

 

 午後の授業はいつもの通り、ほとんど寝て過ごした。

 先生にしてもオレが予備校に通っていないことは知っているから、授業中にわざわざオレを当てることはない。

 そんなことをしたって授業が中断するだけで、周りの進学に燃える生徒に悪影響だからだ。

 だからオレはますますクラスの中で孤立していく。

 今までは池上がいたから、無視されるところまでは行かなかったが、疎遠になってしまった今ではオレはすっかり空気のようなものになってしまっていた。

 誰もオレを顧みないし、オレも誰も顧みない。

 ただ授業中に池上の声が聞こえると、少し胸が痛む。ただそれだけだ。

 

 

 

 

 オレは帰りのホームルームが終わったのとほとんど同時に教室を出て、図書館に向かった。

 放課後すぐの図書館には人は居なかった。いつも受付にいる中年のおばさんが居るだけだ。

 オレは受付のおばさんに軽く会釈をして、図書館の中を見渡してみた。

 熊耳の姿はどこにもなかった。いくらなんでも来るのが早すぎたか。

 オレは村上春樹のまだ読んでいない短編集を手にとって(『中国行きのスロウ・ボート』)、いつもの席に座って熊耳を待つことにした。

 

 しかし熊耳はいくら待っても来なかった。

 短編をひとつ読み終えるごとに図書館の中を探してみたが、やはり熊耳はどこにもいなかった。

 本棚の隙間から受付の様子も覗いてみたが、熊耳は受付にもいなかった。

 そのうちにオレは短編集をすべて読み終えてしまった。

 時間は夕方の六時になっていた。

 

 ――六時。弓道部の練習が終わる時間だ。

 

 

 

 

 やめておけばいいのに。

 オレの足はどうしても、弓道場へと向かってしまうのだった。

 弓道場の入り口で出てくる弓道部を待ちながら、オレは何度も自問自答を繰り返した。

 オレは池上にふられたんだ。しつこいと思われるだけに決まってる。

 だいたい、池上と向かい合って何を話せばいいのだ?

 オレ達の間には、もう長い間会話らしい会話なんてなかった。

 語りたいことはお互いに語りつくしてしまった。

 それは池上も同じはずだ。だから、このタイミングでオレと別れたのだ。

 じゃあ、オレはなんで弓道場の入り口にいるんだ……?

 

 やめておけばよかったのに。

 練習を終えた弓道部のメンバーの中には、池上の姿はなかった。

 いつも一番に出てくるのに、どれだけ待っても池上は現れなかった。

 そしてとうとう弓道場の電気は消され、最後に出てきた一年生が扉の鍵を閉めていた。

 オレは不思議に思って、鍵を閉めていた一年生に駆け寄って話しかけた。

 三年生の先輩の、池上っていう奴は、部活に来てないのか。

 

「池上先輩なら、この間退部しました」

 

 退部? 池上が?

 

「はい。受験勉強に専念するとかで。三年生の引退の大会はずいぶん前に終わっていたんですけど、ずっと在籍していたんです」

 

 引退試合は終わっていたのに、ずっと部活を続けていた?

 なぜ、そんなことを。あいつだって大学に進学するはずだ。

 

「約束がある……とか言ってたかなぁ。詳しいことはわかりませんけど」

 

 約束……。

 まさか。

 オレが、いたからなのか……。

 

 

 

 

 弓道部の一年生から池上の話を聞いたオレは、半ば呆然としながら校門に向かって歩いていた。

 

 オレは池上のことなんて何も知らなかったのだ。

 本当の気持ちだとか、そういう以前の問題だ。

 オレは池上の引退試合が終わっていることも知らなかった。

 オレが迎えに来るから、弓道部を辞めるにやめられなかったことも知らなかった。

 オレとの約束のために、こんな時期までずっと部活を続けていたのだ……。

 

 ちょっと考えればわかることだった。

 周りで、三年生になっても部活に熱心な生徒というのは、もう一握りしかいない。

 彼らにしたって、スポーツ推薦だとか、進学に関する要素があるから続けているのであって、普通に受験をする人間はこんな時期まで部活を続けたりはしない。

 それなのにオレは、池上ならそれくらいはするだろう、と勝手にタカをくくって、部活を続けていることに疑問を持たなかった。

 

「しかし、私のためにお前の未来を閉ざしてしまうのは……つらい」

 

 とんでもない。池上の未来を潰そうとしていたのはオレの方だ。

 何も考えず、ただただ盲目的に子供の頃の約束に縛られて……。

 

 

 

「先輩!」

 

 すると校門を出たところで、誰かに腕を掴まれた。

 いろいろと考え事をしていたし、突然のことだったので、オレはひどく驚いてしまった。

 

「あっ、驚かせてごめんなさい……」

 

 オレを呼び止めたのは熊耳だった。

 なぜ熊耳が……?

 

「図書館で待ってもらうように言ってたのに、私、遅れちゃって……」

 

 ……ああ、そうだ。オレは熊耳と図書館で待ち合わせをして、こんな時間まで学校に残っていたんだ。

 すっかり混乱してしまっている……駄目だ、こんなことじゃ。

 

「ごめんなさい、授業が終わったらすぐに向かうつもりだったんですけど……」

 

 そう言う熊耳の頬は赤く、肩で息をしていた。もうすっかり涼しい時期なのに、前髪が汗で額にはりついていた。

 まさか、オレを探していたのか?

 

「はい。司書さんから、先輩が図書館から出たことは聞いていたので、まだ学校のどこかにいるかもと思って」

 

 それにしたって、そのまま帰ってしまった可能性だってあるだろうに。

 いつもオレが夕方の六時までしか図書館にいないことは熊耳だって知ってるだろう。

 

「先輩が、約束を破って帰ってしまうような人には見えませんから。たぶん学校のどこかで時間を潰しているだけなんだろうな、って思ったんです」

 

 約束……。

 そうか、ありがとう、とオレは熊耳に言った。

 

「えへへ……。なんだかこそばゆいですね」

 

 そう言う熊耳は本当に嬉しそうな顔をしていた。

 その姿は昔のオレと重なり、二重にオレを苦しめた。

 

<続く>

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