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セルフ・コントロール(坂上)

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 普段なら二つ。天気が悪いと三つ。酷い時には四つ。僕が服用している薬の数だ。一錠ずつ梱包された包みを破いて、手のひらに乗せる。何の薬か、もう忘れてしまった。それくらい昔からこの薬を飲み続けている。医者には「成人すれば飲まなくても大丈夫」と言われたが、二十歳の誕生日を過ぎても、薬を手放すことはできなかった。

 薬を二錠口に含んで、冷蔵庫から飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。実家にいた頃、母親に「口をつけたペットボトルをいつまでも取っておくんじゃない」と怒られたことがある。衛生面から言えば最もな話だが、一度に飲みきれないのだから仕方がない。薬が舌の上で溶け出さないうちに、ミネラルウォーターで胃の中に流し込んだ。

「またその薬?」

 背中越しに声がする。女の声だ。

「よく飽きないわね。毎日飲んでる」

 彼女は僕のベッドの上に横たわっていた。厚みのないマットレスが気に入らないようで、芋虫みたいに身体をもぞもぞさせていた。

「起床時と就寝前に二錠。決まりなんだ」

「産まれた時から飲んでるの?」

「受精した時から飲んでるよ」

 僕がそう言うと彼女はつまらなさそうに「ふうん」と言って毛布の中に潜っていった。僕はミネラルウォーターの残りを飲み干して、壁かけの時計を見た。午前二時……まだ深夜だ。そしてとても静かだ。壁の薄いアパートなのに、どこからも音が聞こえてこない。表の路地からも、足音一つしない。たぶん、あと五分もすれば彼女の寝息が聞こえてくるだろう。それまで、僕はこの静寂の中にいる。

 

 

 一週間と二日前。

 

 

 僕が書いた小説が本になって世に出たのが三年前の冬。僕はそれだけの存在だ。

 

 たまに寝る前に……薬を飲んだ後で、ノートパソコンの電源を入れてみる時がある。テキストソフトを立ち上げて、ファイルを手当たり次第に開いていく。星の数ほどあるファイルの名前は、どれもロマンチックだった。「僕らが旅に出る理由」「恋してるとか、好きだとか」「さよならなんて云えないよ」――。

 そして、乱雑に書き散らした文章が三四ページ。そんなガラクタみたいなデータが、ハートウォーミングなタイトルを付けられて山のように転がっているのだ。僕はその光景を目の当たりにする度に心を痛めた。なんだってこんな惨状になってしまったのだ?

 最も、一番の問題は、それらを生み出したのがこの僕自身だということだった。十分間、キーボードを叩く。また一つ、デブリが増えていく。有効な解決法が見つからないまま、一日が終わる。また積もっていく。

 

 

 三日前。

 

 

 ふと、昔の友人に会ってみたくなった。きっかけは、道端に落ちていた壊れたビニール傘だ。おそらく先日の暴風雨にやられてしまったのだろう。僕は思わず足を止めて、打ち捨てられた傘の姿を眺め続けた。そして高校時代の彼を思い出したというわけだ。

 

「明日は出かけるよ」

 僕がそう言うと、彼女は夜食のグラタンを食べる手を止めて僕を見た。

「出版社?」

「いや、違う」

「そう」

 僕らの会話はそれで終わった。狭い部屋の中を、食器が触れ合うカチカチという音だけが支配した。疲れているのだ。お互いに。

 

 翌日、僕は久しぶりに早起きをした。といっても、既に彼女は家を出た後だ。

 僕は寝癖を直してから、パンと牛乳だけの軽い朝食を食べた。今朝のニュース番組では、今日は一日曇り空のようだ。机の脇に置かれた竹の籠から薬の袋を取り出して三錠飲んだ。お気に入りの折り畳み傘を持っていこうとしてから、だいぶ昔に彼女にその傘を貸してしまったことに気がついた。確かまだ返してもらっていないはずだ。仕方がないので傘を持たずに家を出た。降ってきたらその辺のコンビニで買えばいい。濡れて困るものは持っていかなければいいのだ。

 

 彼の大学は最寄りの駅から遠く離れていた。大学の正門に降り立ったところで、強烈な既視感に襲われた。その時にようやく、昔、この場所に来たことを思い出した。高校の夏休みの宿題で、大学のオープンキャンパスに行かなければならなかったのだ。それも、今探している友人と一緒に来ていたはずだ。

 僕はキャンパスの地図を確認して、サークル棟へと向かった。途中、学期末の試験に追われるたくさんの学生とすれ違った。彼らは皆、示し合わせたように教科書や参考書でパンパンになったキャリングケースを提げていた。そういえば、僕の通っていた大学の友達も皆持っていた気がする。持っていないのは僕だけだった。

 

 僕は彼が在籍していたという音楽系のサークルに足を運んだ。もちろん彼自身がいるはずがない。

「ああ、その先輩なら……」

 部室には二人の男がいた。彼らはあまり仲が良くないのか、近くも遠くもない微妙な位置に座っていた。部室に入った僕の対応をしたのは、ドアから遠い場所にいた背の高い好青年風の男だ。ある程度責任のある立場にいるのか、僕の身元や目的をきちんと聞いてきた。ただ、それが少しばかりこそばゆく感じるのもまた事実だった。

「……あった、この年のアルバムですね」

 男はスチールの本棚からアルバムを取り出した。背表紙には今から四年前の西暦が書かれていた。僕と友人が大学を卒業した年だ。まだそんなに年月が過ぎているわけでもないのに、背表紙だけがやたら日焼けしていた。過去のアルバムなんてほとんど誰も開かないのだろう。

「卒業後の進路と、連絡先も載ってますね」

「メモさせてもらってもいいかな」

「ええ、どうぞ」

 僕はメモ帳を取り出して、メモをするふりをした。

「ありがとう、助かりました」

「いえいえ、お役に立てて光栄です」

 男は満足げに笑って、アルバムをばたんと閉じた。その時の風圧で、机の上に置いてあったライブのチラシが何枚か吹き飛んだ。そして、ノートに何か書き込んでいたもう一人の男がそれを拾った。

 

 僕は大学を後にした。駅まで徒歩二十分。その間、彼のことを思い返していた。雨はまだ降っていなかった。

 

 

 二日後。

 

 

 結局、彼はもうどこにもいなかった。

 でも不思議と、僕の気分は晴れ晴れとしていた。暗中模索を続ける喜び。手ごたえのない実感を求める楽しみ。そして到達した、飾り気のない真実。なんだかとても懐かしい気持ちになった。

 

「どうしたの?」と彼女は家に帰るなり、僕の顔を見てそう言った。

「何がだい?」僕は首をかしげた。

「泣いてるじゃないの」

「僕が?」

 

 そして僕らは久しぶりに寝た。何とかして彼女にこのことを伝えたかったが、上手い言葉が出てこなかったのだ。

 

 パソコンの中からロマンチスト達をゴミ箱に放り込むと、季節は冬に向かっていった。僕はもう薬を飲まなくなった。窓を開けて夜空に目を向けると、月は厚い雲に覆われて濁った光を懸命に放っていた。吐いた息は純粋なまでに白く、淡い月光の下で雲に紛れて消えていった。

(RKTY’s 坂上稜線)

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絵描き: 雪松
物書き: 坂上
作曲家: 全全力力
演出スクリプター: 実槻

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