ミーン、ミーン、ミーン……
気が付くと、外からセミの鳴き声が聞こえた。
まだカレンダーは六月だったけれど、まぶしく照りつける太陽は夏の訪れを感じさせるには充分だった。
「そういや、知ってるか?」
高校二年生だった僕らのクラスは、七月から始まる授業のためにプール掃除をさせられていた。
秋、冬、そして春と放置されていたプールはこれでもかというくらいに汚れてしまっており、体操服に着替えてもプール掃除を嫌がる女子がいるのも仕方ないなと思える有様だった。
といっても、僕らが手を動かさなくてはいつまで経っても掃除は終わらない。各々文句を言いながらも、自分の身長ほどもあるブラシでゴシゴシとこびりついた汚れを落としていた。
「何が?」
僕は友人の竹口と並んで、プールの中を掃除していた。
長い間水の底に沈んでいたプールは特に汚れがひどく、よくわからない黒々としたものがプールいっぱいに広がっていた。
僕も本当はこんな場所はやりたくなかったけれど、まあジャンケンで負けた以上仕方ない。サイズの合っていない備品の長靴を履いて、転ばないように慎重にブラシを前後させていた。
「金澤だけどさ、一学期限りで転校するらしいぜ」
「金澤?」
僕はブラシを動かす手を止めて、金澤の姿を探した。彼女もまた僕らと同じように、プールの中を掃除していた。
金澤は女子にしては身長が高く、いつも髪を短く揃えていた。それが所属しているバスケ部のためなのかどうかはわからない。
運動をしている割には大人しい性格で、どちらかといえば目立たない女の子だった。下世話な話が好きな友人からも、金澤の浮ついた話を聞いたことはなかった。
「どうして竹口が知ってるんだ」
「この前、たまたま職員室で聞いたんだよ。俺は科学の山田に用事があったんだけど、その時に金澤が担任の門井と話してた」
「ふうん……。他の奴は知ってるのかな」
「さあね。俺もお前以外にはまだ話してないし、そのつもりもないよ。変な噂はこりごりだからな」
その間も金澤は誰とも口を利かずに、黙々と掃除を続けていた。
◆
以前、僕は金澤と二人で帰り道を一緒に歩いていたことがあった。
というのも一年生の時、僕らはクラスの文化祭係だったのだ。
放課後に行われる文化祭の話し合いに二人で出席して、自分のクラスに進捗状況を伝えるのが僕らの役目だった。
くじ引きで決まった係だったので文化祭に対して熱意があるわけではなかったけれど、決まった仕事を雑にこなすわけにはいかない。
そういうわけで僕らは一度も話し合いを欠席せず、クラスで上がった要望などはきちんと実行委員に伝えた。
全てが全てうまく行ったわけではなかったけれど、僕ら自身がまだ一年生だったこともあって、あらゆる要望が叶うことはないとクラスメイトが理解してくれていたのは幸いだった。
おかげで僕らの文化祭は特に大きな問題もなく過ぎていった。
僕と金澤の帰り道が一緒になるのは、その文化祭の話し合いがあった日だけだった。
僕はどこの部活にも所属していなかったし、金澤は部活があるといつも遅くまで練習していたから、そもそも時間が合わないのだ。
ただし話し合いがある日だけ、金澤は部活を休んで、僕と一緒に早めに学校を出た。
話し合いは遅くとも夕方の五時には終わっていたので、そこから部活に顔を出すこともできただろうが、金澤は一度もそうしなかった。
「途中参加は、気まずいから」
金澤はそう説明した。僕もそういうものかと納得して、それ以上は詮索しなかった。
とはいえ一緒に帰ったところで、僕らの間には共通の話題はほとんどなかった。
何の取り柄もないインドア少年と、部活に打ち込む少女が、いったいどんな話をすればいいのだろう?
どちらか口を開くのはせいぜい学校を出て十分くらいのもので、それからは二人とも押し黙って通学路を歩くことになった。
この沈黙の方がよっぽど気まずいんじゃないか、とも思ったけれど、わざわざ突っ込むほどのことでもないと思った。
そして文化祭が終わった後、僕らは何事もなかったかのように元通りに戻っていった。
前より仲が良くなったということも特になく、一緒に学校から帰ることもなかった。
竹口が金澤の転校の話をするまで、そういうことがあったこと自体もすっかり忘れてしまっていた。
僕にとって、それはただの記憶でしかなかった。
(続く)
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