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パノラマジック(坂上)

この記事は約7分32秒で読めます

 

 昔、教科書で見たことがあった。

 船外活動中だった一人の宇宙飛行士が、宇宙船から噴出した空気に押し出されて宇宙のはるか彼方へ飛ばされていってしまった事故。

 ほんの小さな故障――ともいえない、気になる箇所をチェックするだけだったので、命綱の確認も甘く、姿勢制御の空気噴出ランドセルも背負っていなかったのだ。

 遮るものが何もない宇宙で、加速を得た宇宙飛行士の身体は際限なく飛ばされ続けて、あっという間に母船から観測できなくなってしまった。

 最後の交信記録はデータとして残っており、機密情報だったらしいのだが、いつからかそのデータが漏れ、インターネット上で聞くことができるようになっていた。

 

 オレもかつて、好奇心からそのデータを聞いたことがある。

 宇宙の彼方に飛ばされてしまった彼は、初めは慌てながらも、マニュアル通りの現状報告を続けていた。

 

「こちら、ワンゼロワン。何かに押し出されたようだ。どんどん船から遠ざかっていく」

 

 船のオペレーターも、初めは何が起こっていたのか把握しておらず、飛ばされてしまった宇宙飛行士に状況の確認をしていた。

 しかし、宇宙飛行士からしたら、そんなゆとりのある状態ではない。加速度的に、船から自身の身体が遠ざかっていくのだ。

 急激に自分を覆っていく死の実感、自身の危機管理の甘さ、マニュアル通りにしか事を進めることのできないオペレーター。

 そのどれに対して苛立ちを覚えたのかはわからないが――あるいは、そのすべてかもしれない――、次第に彼の言葉は感情を表すばかりになっていった。

 

「寒い、駄目だ、止めることができない。船が、地球が……死にたくない、暗い、何も、見えない」

 

 そんな言葉の羅列が二分ほど続いたところで、彼からの交信は途絶えた。

 ブツン、と何かが切れる音がして、それっきりだった。その後、ようやく事態を呑み込んだオペレーターが何度も彼に向かって呼びかけたが、彼が言葉を返すことはなかった。

 その最後の二分間の、彼の感情は……聞いていた僕が滅入ってしまうほどの悲痛なものだった。

 誰も彼を助けることも……ましてや、事故から三十年が過ぎた今になっても、彼が宇宙のどこにいるのか、誰にもわからないのだ。

 彼の最期の言葉はこうだった。

 

「誰か、誰も、光……」

 

 

 

 

 オレがその音声記録を聞いたのが、十五歳の時。

 その二十年後に、自分が同じような状況に陥ってしまうだなんて……考えもしなかった。

 

「とんでもないことになったな」

「……本当にね」

 

 それも、同僚の女の子と一緒に。

 

 

 

 

 事の発端は、あの事故と同じように些細なものだ。

 オレと彼女は宇宙開発組織のエンジニアで、周回軌道上の無人観測機の定点チェックに向かっただけだった。

 それ自体は難しい作業じゃない。基本動作さえマスターしてしまえば、ある程度機械的に作業をしていてもこなせるような仕事だ。

 だが、オレ達はきちんと安全管理を徹底していた。

 オレは例の事故を知っていたからだし、彼女にしても恋人をスペースデブリとの衝突事故で亡くしていたから……宇宙の怖さは十分に理解していた。

 問題は――一つの仕事に、数え切れないほど大勢の人間が関わっているということだった。

 

「まさか、命綱のケーブルが……観測機の根元のフックから取れちゃうとはね」

 

 オレは命綱のケーブルの先に結びついた、取れてしまった金属のフックを手に取ってみた。

 金属疲労か、それともフックを閉めていたボルトが緩かったのか。

 無人観測機に小さなデブリがぶつかった衝撃で、フックはいとも簡単に観測機から取れてしまったのだ。

 さらにその衝撃はオレ達の身体をも揺さぶり、観測機から離してしまった。

 その時にオレは慌てて命綱を手繰り寄せて、命綱がもはや何の意味もないことを初めて知ったのだった。

 せめて、彼女とはぐれるわけにはいかないと考えたオレは、咄嗟に命綱を彼女の身体に巻きつくように投げつけて、何とか散り散りにならずに済んだ……というわけだ。

 

「ごめんなさい。命綱のチェックは私だったのに……」

 

 彼女は消え入りそうな声で謝罪の言葉を述べた。

 宇宙服のバイザーは宇宙放射線から身体を保護するためにマジックミラーのようになっていて、その表情を確かめることはできなかったが……。

 

「気にするなよ。オレ達が不手際を起こしてこうなったわけじゃないんだから」

 

 オレ達、エンジニアに任されているのは、観測機の内部の極めて専門的な箇所の調整だ。

 観測機の表面の装甲の老朽化などは、オレ達の仕事の範囲外なのだ。

 

「それに、絶望するほど状況は悪くないよ」

 

 オレはそう言って宇宙服の右腕のコンソールパネルを使って、遭難用のビーコン・サインを発信した。

 これで国を問わずに、オレ達が何らかの事故で宇宙を漂流してしまっていることが伝わるはずだ。

 例の事故の頃はまだ宇宙開発が途上だったから、こうした制度や技術も無かった。

 それに比べれば、希望が持てる時代になったと言えるだろう。

 

「さ、後はなるべくエアの消費を抑えるだけだ」

「冷静、なんですね」

 

 彼女の宇宙服の背中パネルを操作しようとオレが手を伸ばすと、彼女はそう言った。

 

「冷静? オレが?」

「まるでいつもと同じみたい。宇宙に投げ出されて、このまま死んでしまうかもしれないのに……あなたは……」

 

 彼女はいつしか自分がオレを責めるような口調になってしまっていることに気が付いたのか、ハッと口をつぐんで「ごめんなさい」と謝った。

 

「気が立ってるみたいですね、私……。普段は、そんなこと滅多にないんですけれど」

「そんなもんだよ。第一、オレだって宇宙に流されいっちゃうのは怖いよ。黙ってじっとしていられないくらいにさ」

 

 そうだ。これは訓練でもシミュレーターでもない。

 事故で宇宙に投げ出されてしまったのは……現実なのだ。

 そこには生命の保証も何も無い。

 出来ることはするけれど、その全てがうまくいかないかもしれない。

 そうなったら、オレ達はあの昔の事故のように、宇宙の彼方へ流れていってお終いになってしまう。

 

「……まあ、それも悪くないか」

 

 別にオレは自殺願望があるわけじゃない。

 助かるのならそれに越したことはない。だからこうやって可能な限りの延命措置をやっている。

 だけど、それと同時に……あの事故の音声記録の最後は、オレの頭の中にこびりついていたのもまた事実だった。

 

(誰か、誰も、光……)

 

 あの宇宙飛行士は最期に何を見たんだ?

 光とは、いったい何だったんだ?

 初めてあの記録を聞いたその日から、宇宙飛行士が最期に見た光の姿を、オレも見てみたかった。

 たとえそれが……命と引き換えになるのだとしても。

 

 

 

 

「スゥー……ハァー……スゥー……」

 

 空気の消費を最大稼動モードにしてから、二時間が過ぎようとしていた。

 オレ達は他にぶつかるものもなく、相変わらず同じスピードで宇宙を漂流し続けていた。

 最初は目と鼻の先にあった無人観測機も、今じゃ豆粒くらいの大きさにしか見えなくなってしまった。

 地球もまた……手のひらに収まってしまうくらいになった。

 

「スゥー……おい、まだ……ハァー……生きてるか……スゥー……」

 

 オレは抱き合ったままの彼女に声をかけた。

 表情がわからない以上、時折こうやって聞いてみないと、生死の確認もできないのだ。

 

「スゥー……なんとか……ハァー……生きてます……」

 

 オレも彼女も限界が近づいていた。

 空気の残量も、持ってあと一時間。

 空気が薄い関係で頭痛も激しく、それは彼女の声色からもひしひしと伝わってきた。

 かといって周りの宇宙空間にはお互いの身体以外に掴むものは何も無く、自分の身体を支えてくれるものも何も無い。

 ふわふわと浮いたような状態のまま為す術もないというのが、これほど苦痛と恐怖を呼び起こすものだとは……思わなかった。

 

「スゥー……ハァー……」

 

 オレと彼女の間に、もはや会話はなかった。

 ただ互いの呼吸音だけを聞きながら、何かが起きるのを待つしかなかった。

 誰かが助けに来るか、それともこのまま死んでいくか……。

 それは、オレが想像していた死に方とはずいぶん異なっていた。

 たぶん、あの昔の事故の宇宙飛行士のように、急激に死ぬことができなかったから……なのだろう。

 あの宇宙飛行士が最期に見た、光の正体……。オレには、永久にわからないままかもしれない。

 それもまた仕方ないか、と考えるくらいには、オレは諦観を抱いていた。

 

「……私の昔の話……スゥー……知っていますよね……」

 

 その話は突然始まった。

 彼女の方から話しかけてきたのはこの状況になってからはこれが初めてだった。

 そのせいで、オレは初めのうち彼女がオレに向かって話しかけていることに気が付かなかった。

 だが、それは独り言というにはあまりに悲痛で、彼女が誰かに心の救いを求めていることは明らかだった。

 

「私がまだ……ハァー……地球で仕事をしていた頃……スゥー……」

 

 

 

 

 彼女の恋人は大学時代の同級生だった。

 二人は在学中から付き合いを始め、社会人になっても同じように交際を続けていた。

 どちらも気恥ずかしくて言い出さなかったが、このままいつか結婚するのだということは何となく理解していた。

 

 彼女の恋人は優秀なエンジニアだった。

 専門的な仕事を多くこなし、実際に宇宙で自ら機器のメンテナンスを行っていた。

 その関係で彼は長い間宇宙に滞在することもあり、二人だけの時間はそう長くはなかった。

 

 彼女はできることなら、彼に宇宙に行ってほしくはなかった。

 技術が進んでいるとはいえ、宇宙は未だに人の住む場所ではないのだ。

 宇宙に上がるには相応の訓練をこなさなければならないし、ささいなことで命を落とすことも珍しくない。

 だが、それ以上に……彼女は、宇宙から帰ってきた恋人が、別人のように感じられてしまうことが怖かった。

 

 二人の住む家で彼を出迎えても、二人で暖かい食事をするときも、ベッドの中で彼と抱き合っているときも。

 どこか……彼の所作に違和感を覚えることが少なくなかった。

 恋人の浮気を疑ったこともあったが、彼は彼女に隠し事をしておけるほどの気立てはなかった。

 第一、長い間家を空けるのに、浮気なんて非現実的だ。彼は地球にいる間はずっと彼女と一緒にいるのだ。

 

 彼女はその原因が、宇宙にあると考えた。

 地球にいる人間と、宇宙に出た人間。この二つの差は、オゾン層を越えたか越えないか、だけではないのだ。

 ずっと愛していた人間を、少しずつ内から変えていってしまうような……そんな力が、宇宙にはあるのだと、彼女は漠然と感じるようになっていった。

 

 そして彼女の恋人は死んだ。

 スペースデブリとなった小さなナットが、船外活動をしていた彼の頭を貫通したのだ。

 地球に運ばれた彼の遺体の顔には、綺麗なナット型の穴が空いていた。

 

 彼女は宇宙に出た彼の後を追うように、猛勉強を重ねてエンジニアとなり、亡くなった彼と同じ仕事に従事しているのだった。

 彼と同じように、宇宙の人間になるために。

 

 

 

 

 彼女の話はそこで終わった。

 それは彼女の記憶だった。彼女の生きてきた証だった。

 どうしてその話をオレにしたのか……。

 ……いや、オレにはその答えはわかっていた。

 

 そして長い静寂があった。

 いつしか彼女の呼吸音も聞こえなくなっていた。

 オレは宇宙を見上げて、これからオレ達が向かうべき方向に目をやった。

 それはとてもまぶしく、光の渦のような宇宙に見えた。

 今まではあんなに暗く、冷たく感じられた宇宙が、暖かみのある明るい場所に見えた。

 そうか、これが……とオレは思った。

 これが、あの宇宙飛行士が見た景色だったのだ。

 

(誰か、誰も、光……)

 

 誰もが、光になっていく。

 オレは彼女の身体をしっかりと抱きかかえたまま、ヘルメットの中に浮かぶ涙の粒を見た。

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絵描き: 雪松
物書き: 坂上
作曲家: 全全力力
演出スクリプター: 実槻

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