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あの日、僕はハローも言えずに(坂上)

この記事は約11分22秒で読めます

 夢を見た。

 

 俺はいつも腹を立てていた。まだ幼かった俺は、目の前に映るすべてのものの短所しか見ることができなかった。大抵のものは短所と同時に長所も持ち合わせていることに気付いたのは、そしてそれをきちんとした形で理解できたのはだいぶ後になってからだった。

 

 その日も俺は苛立っていた。まともに大学の講義を受けることもできないような野蛮な猿共が、数年後には社会に出て大衆となって社会を動かしていくことに我慢ならなかった。休み時間にはイヤホンをつけて、お気に入りの音楽で世界を隔絶した。目障りな人間がいるときには、何度も読み返した文庫本を取り出して視界から外した。俺にとっての大学はほとんど我慢の訓練のようなものだった。

 

 そうしたフラストレーションを解消してくれたのは、週末に行うライブだけだった。俺はビートルズのコピーバンドをしていて、年配の客が多く来店する週末にライブを開いていた。「ザ・スタッグス」というバンドだ。たぶん同じ名前のコピーバンドは三百くらいあるだろうと思っていたが、リーダーの痩せた男がどうしてもと譲らなかった。僕にしたって気の利いた代案はほとんど浮かばなかったから、黙ってそれに従った。コピーバンドという時点で、唯一的なオリジナリティーは必要ないのだ。

 俺は当時ギターしかできなかったが、メンバーがよく替わるせいで様々な楽器を担当する羽目になった。ベース、ドラム、ピアノ……ある曲ではタンバリンやシタールまでやらされた。多芸なポールや、意欲的なジョージのせいだ。

 とはいえ、そうした挑戦は嫌じゃなかった。新しい楽器を始めるたびに感じる、乾いた土に水をやるような感覚……やり場のない怒りを抱えていくよりも、はるかに健全で充実した精神状態を保つことができていた。

 

 それが俺の二〇〇九年だった。大学二年生、秋の話だ。

 

 

 いつの間にか俺は知らないスタジオにいた。白い木の格子窓から明るい日差しが部屋一杯に差し込んでいる。床は何度も運び込まれた機材のせいで傷つき、ボロボロになっている。密閉されたスタジオにはタバコの臭いが充満していた。

 気がつくと俺はスタジオの真ん中でギターを持って立っていた。周りでは、首にヘッドホンをかけたスタッフがばたばたと機材のセッティングをしていた。次々と運び込まれるドラム、ベース、ギター……俺だけが、ギターを抱えて立っていた。俺は名も知らぬスタッフに手伝った方がいいか聞こうとして、肩を叩いた。振り向いたスタッフの顔……。

 

 

 東京にも冬が近づく。乾いた空気が心を逆立たせる。その感覚がたまらなく好きだった。

 俺はその頃、毎週のライブと並行して自分の曲を作っていた。コピーバンドとしてじゃない、自分だけの曲。俺は長い間大勢の前で演奏を続けていくうちに、自分の力を試してみたくなったのだ。そこには驕りがあったかもしれない。でもだからといって、何もせずに年寄りの前で同じように歳を重ねていくのは嫌だった。それにこの先自分がどうやって生きていくべきなのか、薄々感じ始めていたということもあった。まだはっきりとはわからなかったが、もうちょっと丁寧に埃を払えば、エッジを際立たせて俺の前に表れてくれそうな気がしていたのだ。

 

 俺はそのことを他のバンドメンバーには秘密にしていた。俺とリーダー以外はしょっちゅうメンバーが入れ替わってしまうので、秘密のようなものを話せるまで親しくなることができなかったのだ。

 そして唯一付き合いの長いリーダーだったが、彼にはどうしても話す気分になれなかった。彼は日本人にしては珍しく目鼻立ちのくっきりした顔立ちをしていたが、それは彼のハンサムさを増長するよりも、狡猾そうな印象を強くする方向に作用していた。そして一番厄介なのは、彼が実に見た目通りの性格をしていたということなのだ。俺が彼によってザ・スタッグスを追放されないのも、様々な楽器ができる(彼が納得できるレベルまで短い期間で上達できる)という利便性によってでしかない。三人目のメンバーを追い出した後の冷たい表情を見てから、俺は決して彼にだけは腹を割って大事なことを話さないようにしようと誓った。俺はリーダーとは対等の存在であり続けようとしていたのだ。

 

 そういうわけで、曲作りはまったく一人の作業ということだった。どこかで発表するあても、そもそも誰かに聞いてもらえるかどうかすらわからなかった。それでも俺は大学と我慢比べをしながら、初めての曲作りに打ち込んだ。今考えても、その時期が一番激しい感情を抱いていたと思う。全ての負のエネルギーを創作に変換し続けていた。脳味噌が焼ききれてしまいそうだった。あんまり熱中していたものだから、夜歩いていると警官に職質されることもあった。何日も着替えていないボロボロの服装で、ふらふらと徘徊しているのだから当然だ。俺はそうやって徐々に現実世界から離れていった。

 

 

 ……は、どう見ても外人のそれだった。まず顔立ちが違うし、髪の色も日本人より明るい。髭まで同じ色だ。

 俺は驚いて言葉を失った。するとスタッフの男は俺に向かって何かを言い始めた。たぶん英語だと思うのだが、義務教育で習得したリスニングじゃほとんど何も聞き取れない。ただ男は妙に頭を下げて、すまなそうな素振りをしていた。俺はOKとか適当なことを言いながら、男の前から離れてスタジオを出た。

 

 スタジオの外は待合室になっていた。洒落た家の庭先に置いてあるような、白い装飾の入ったテーブルと椅子があった。待合室には他に人はいなかったが、テーブルの上には飲みかけのコーヒーが二つ置いてあった。椅子には誰かの上着もかけられていた。空気が停滞していたスタジオとは違って、待合室には新鮮な空気が流れていた。俺はほっとして、ギターを降ろしてから、上着のかけられていない椅子に座った。椅子は固かったが、座る部分に余熱を感じた。やはりさっきまで誰かがここにいたのだ。

 さて、いったいここはどこなのだろう……と考え始めた瞬間だ……。

 

 

 俺と大学の我慢大会は四年目に突入していた。この頃になるとさらに就職活動というお節介も加わり、その様相はより激しさを増していた。大きなお世話だ。

 

 もう俺はビートルズのコピーバンドでも、駅前で空き缶を投げつけられて罵倒を浴びるシンガーソングライターでもなくなっていた。スタッグスのライブで様々な楽器を使いこなす俺に興味を持った一人のプロデューサーの働きかけで、音楽業界にするりと入り込んだのだ。その時にずっと一人で暖めていた自作の曲を見せたことで、作詞・作曲という形で音楽で飯を食えるような立場になったのだ。

 ただし、それらの技術はほとんどが独学だったので、新しい技術との遭遇がますます増えた。その度に俺は一から技術を取り込み、何とか形にできるように努めた。しかるべき場所で訓練を受けた人間よりも、そういった面でタイムラグが生じてしまうのは俺の明確な欠点だった。仕方がない、正しい努力を怠ったツケなのだ。

 俺は何度も苦しい思いをしたが、嫌になることは決してなかった。まだ霧の中にあった未来のイメージを、自分の手で少しずつ暴いていくような感覚があった。それに熱中していくうちに、次第に他のものへの執着も薄まっていった。

 

 そして彼と出会った。

 

 

 ……った。ドアが開いて、見知らぬ男たちが続々と待合室に入ってきた。各々が部屋に置いてあった自分の荷物のそばに散った。一人の男は椅子にかけてあった上着を着て、二人の男は立ったままテーブルの上のコーヒーを飲んだ。そしてもう一人は女を連れていた。奇妙だったのは、男たちは皆外国人然とした風貌だったのに、その女性だけ俺のよく見知ったアジア人だった。いや、たぶん日本人だろう。その女性は毛むくじゃらの男の隣を陣取っていた。

 俺はなんだか肩身が狭い気持ちになった。彼らの間には会話はなかったが、奇妙な連帯感によって成り立っていた。それに誰もが俺のことを見ていなかった。なぜ俺はこんなところにいるんだろう、とその時初めて考えた。その空間では、明らかに俺は異物だった。

 立ち上がって早くここを去ろう、そう思っ……。

 

 

「お、早いな」

 その日は新曲のレコーディングだった。彼には事前に仮歌を渡してあったが、実際に顔をつき合わせての収録は初めてだった。

「予習しておこうと思いまして。今までにない曲調でしたから」

 俺は肩に担いだベースを待合室の隅に置いて、テーブルの上に用意されていたポットから熱いコーヒーを紙コップに注いだ。外は真冬だ。指を馴染ませないと、まともに曲を弾くことなんてできない。

 

 彼は真面目で正直な男だった。俺は初め、青年と呼べる歳になるまでここまで純粋な心持でいられるのが信じられなかった。もちろん、彼だって社会に対して好からぬものを感じていた。しかし、彼は自分の手の届かない範囲のことには一切首を突っ込まなかった。それは大学生だった頃の俺にはできなかったことだった。世界中のあらゆる事件を自分の痛みとして捉えては、やり場の無い憤りを感じていた。

 その反面、こと音楽に関してはまるで子どものような好奇心を振りまいて活動していた。俺が様々な楽器を使えることを知ると、彼はそのことについて多くの質問をした。少し鬱陶しく感じることもあったが、彼のそうした好奇心は俺にある種の共感をもたらした。彼となら、二人でやっていけるかもしれないと思ったのだ。

 ちょうど彼も自分の曲を欠いていた(純粋さでは曲はできない)ところだったので、俺がコンビ結成を持ちかけると話はすんなりとまとまった。当時はこんな偶然の出会いもあるんだな、と思っていたが、今ではプロデューサーが意図的に俺らを引き合わせたものだと思っている。やり手なのだ。

 

 彼は曲作りはからっきしだったが、幸い、人を惹きつける無二の声(訓練ではどうにもならない)と、類まれなギター捌きの腕前を持ち合わせていた。そしてそれらは俺の作る曲に見事なまでにマッチした。まるで何もかもが最初から用意されていたみたいだった。

 だが、俺はそれに一抹の不安を覚えないでもなかった。あまりにも何もかもが上手く合致しすぎていた。

 

 ある日、彼は俺に向かって「まるでビートルズみたいですね」と言った。彼が何を指してその喩えを持ち出したのか、俺には最後までわからなかった。俺たちは人数も違えば、カリスマ性もなく、音楽性の違いも無かった。彼は俺がビートルズのコピーバンドをやっていたことを知っていたので、そのことに関連してのお世辞だったのかもしれない。しかし、彼は意味のないお世辞を言うような人間ではなかった。今となってもにわかには信じがたいことだが、彼の言動にはすべて意味があったのだ。

 

 俺は大人になっていた。少しずつだったが、俺は現実の世界に戻り始めていたのだ。青年と呼べる歳でなくなった頃のことだ。

 

 

 ……った時だった。誰かが俺の肩をぽんと叩いた。振り返ると、口髭をたくわえた鼻の大きい男が俺に向かって微笑んでいた。

「どこに行くんだ? セッションはこれからだよ」

 男は確かに英語を話していた。さっきのスタッフと同じだ。しかし、俺には男の言葉が理解できていた。聞きなれない言葉の意味が、するすると頭の中に潜り込んできたのだ。

「ほら、もうみんなスタジオで待ってるよ」

 男はそう言ってスタジオの中に入っていった。いつの間にか、待合室にいる人間は俺だけになっていた。いつの間にか、みんなスタジオに移動したのだ。スタジオへの扉は閉まりかけていた。俺は……

 

 

 久しぶりにザ・スタッグスのリーダーと会った。俺が何も言わずにメンバーを抜けてから、もう二十年近く経っていた。ビートルズの結成から七十年……そういう時代だ。

「老けたな」

 リーダーは会って早々、俺の顔を見て言った。俺はその日、髭を剃るのを忘れて毛むくじゃらだったから、余計にそう見えたのかもしれない。俺も同じ言葉を返そうと思ったのだが、彼は壮年に差し掛かった年齢になっても若い頃のぎらついた眼光を失っていなかったのだ。

「相変わらずみたいだ」

 俺はそう言ってウェイトレスを呼んだ。俺たちは二人ともホットコーヒーを頼んだ。ウェイトレスが行ってしまった後で、彼は上着のポケットからタバコの箱を取り出した。この喫茶店は今では珍しい、喫煙席のある店舗だった。わざわざタバコの吸える店を探して呼んだのだろう。昔のように。

「何してるんだ、今」

 先に口を開いたのは彼の方だった。彼は咥えたタバコに火を点けないまま、テーブルを睨みつけていた。彼は昔から人の目を見て話さなかった。

「作詞と作曲だよ」と俺は答えた。嘘ではなかった。かつてコンビを組んでいた男が死んで、俺は音楽界に一人で放り出された。俺はなんとか音楽で食いつないでいくために、様々な仕事に手をだした。音響、ライブの裏方、音楽学校の講師……スタッグスで、色んな楽器を覚えたのと同じだ。ただその時には既に激しい情熱は癒されていたし、俺の方も現実的な目標しか抱けなくなっていた。その時点で、俺の音楽家としての人生は死んだも同然だった。

「ギターは」

「今じゃほとんど弾かないな。ぜんぶコンピューターでできるから」

 彼は「そうか」と言って、咥えていたタバコに火を点けた。わざわざマッチを使うところも、若い頃と変わっていなかった。マッチの箱にはラブホテルの名前が書いてあった。まだ女遊びをしているのだ。彼の吸うタバコから漂う香りを、なんだか無性に懐かしく感じてしまった。

「また、やらないか」

 俺は「何を?」と言いかけてやめた。決まっている。彼は未だにザ・スタッグスのリーダーなのだ。

「もう本家よりも長く続けてる。俺はもうビートルズのコピーバンドである以上に、スタッグスなんだよ」

「割り切ってるんだな」

「そうでなければやっていけない」

「それ、やめろよ。こっち向いて話せ」

 俺がたしなめると、彼は吸っていたタバコを灰皿に押し付けて消した。

「悪いな、癖なんだ」

「知ってるよ。いい加減に直せよ」

 俺は少し語気を強めて言った。それは俺が久しぶりに抱いた、苛立ちという感情だった。

「それだよ」彼は俺の顔を見た。「そういうことを言ってくれる奴は、お前しかいなかったんだよ」

 改めて彼と顔を突き合わせると、彼はどこか幼く見えた。童顔というわけではない。彼の歳に顔の影が追いついていないのだ。月日だけが先鋭化して、俺達の身体を持っていってしまっていた。

 

 俺の頭の中には、ある曲が浮かんでいた。彼はまったく、ひとりぼっちの男……。

 

 

 ……慌てて、閉じかけたドアに手をかけた。ドアは思ったよりも重かったが、俺は両手をかけてゆっくりとそのドアを開けて中に入り込んだ。

「来たな」

 中では四人の男が既に持ち場に着いていた。スタジオの隅にはさっきの日本人の女……いや、違う。わかる、彼女はただの女性じゃない。

「早くギターを持てよ。新しい曲、できたんだって?」

「ジョンだってお前の新曲を聴きたがって、わざわざスタジオまで来たんだぜ。早くしろよ」

 なんだ、みんな結構仲いいじゃないか。解散寸前の癖に……。

 気がつくと、俺の手にはギターがあった。ポールが俺にピックを投げて渡した。彼らは俺がギターを弾きだすのを待っていた。

 俺はギターを弾き始めようとした。しかし、俺の知っている曲はすべて彼らのものだった。新しい曲なんて何一つない。俺はなんとか彼らに言葉をかけようとした。でも、言葉は出てこなかった。頭は鮮明に働いている。状況を一から説明することもできる。だけど、その時の俺は彼らに向かって言葉を発することができなかった。

 

 どのくらいの時間、立ち尽くしていただろう。彼らは延々と俺がギターを弾きだすのを待っていた。俺はどうしようもないまま、涙がこぼれるのを止めることができなかった……

 

 

 先日、久しぶりにテレビ番組の取材を受けた。ボーカリストが自殺した悲劇のバンドの現在を追うという内容で、彼に関する様々な質問をされた。

「彼が自殺したと聞いた時、どう思われましたか?」

 たぶん、目の前にいる若々しい青年はこんな答えを期待しているのだろう。相方が死んでしまって悲しかった、もっと彼のことに気付いてやればよかった……教科書どおりだ。

 でも俺は彼が自宅で睡眠薬の過剰摂取で自殺したことを知った時、そんなことは微塵も思わなかった。俺は彼のことを(音楽という側面から)誰よりも深く理解していた。彼自身も、音楽に関わっている時の自分が本当なのだと、俺に何度も言っていた。

 だから彼がいつか自分の手で命を絶つことは薄々感じ取っていた。そしてそれを止めようとは一度も思わなかった。自殺が美しいとは思っていないが、だからといって悲惨にまみれたものではないとも思っている。彼が死ぬのはあのタイミングしかなかったのだ。

 そんなことを答えたら、インタビュアーの青年は顔色を変えて急におどおどした口調になってしまった。案の定、テレビ放送ではその部分は編集でまるまる削られてしまった。今になって、大学生だった頃の鬱憤が晴らされたような気がした。

 

 そして、夢に出てきた彼ら。

 

 すべて、あそこから始まっていた。あの時、ジョンを、ポールを、ジョージを、そしてリンゴを目の前にして……俺は何も言えなかった。言うべき……いや、そんな大層なものじゃない。言えるはずの言葉は山ほどあったはずなのだ。それなのに、俺の隣に来てくれた四人に、俺は何も言葉をかけることができなかった。

 俺は言葉を交わさない生活に慣れすぎてしまっていたせいで、言葉を失ってしまっていたのだ。俺の周りは賢い人間ばかりだった。たぶん、俺が無意識下で、そうした人間としか交流しないように人間関係を選別していたのだろう。それが結果として、俺自身を貶めるものとなっていたのだ。

 だからせめて、自分の思ったことを言えるようになりたかった。それは人の真似だけをしていては身につかない。誰かに教わるのではない、自分自身で作り出した、新しい何かが必要だったのだ。

 だから俺は自分の曲を作り始めた。今度彼らに会った時に、馬鹿にされても、けなされても、自分の言葉を伝えられるように。

 

 それに気付いたのは俺が還暦を迎えた頃の話だ。その時まで、自分の心の原動力をはっきりと理解できていなかったのだ。もう手遅れだろうか……?

 

 今でも俺は、ザ・スタッグスとしてリーダーと一緒にビートルズのコピーバンドをやっている。どっちかがくたばるまで、それは続くだろう。結局、俺は一生ビートルズと付き合い続ける羽目になった。俺でいったい何人目なのだろう?

 

 

 目が覚めた時、俺は涙を流していた。夢だとわかった後で、俺はまた泣いた。どれだけ泣いても足りなかった。

(RKTY’s 坂上稜線)

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