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ロング・ジャーニー ファー・アウェイ【後】(坂上)

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 僕が有村の死を報されたのは、二人目の彼女から白い便箋を受け取って一週間くらい経った頃だった。

 僕は彼女から、有村が中東の国(もう名前も思い出せない)に一人で行っていたこと、現地の住民と交流を深め、様々な技術を身につけていたこと、彼が朝食を食べにホテルから出たところを自爆テロの巻き添えになって死亡したこと、その時に身につけていたは黄ばんだTシャツと柄物のトランクス、茶色の財布だけだったこと、そして彼の身元が判明するきっかけになったのが財布に入っていた僕の名刺だったことを知った。それらのことは便箋の中の手紙には一切書かれていなかった。

「なぜ僕の名刺から、有村の身元がわかったんだ?」

「昔、共同経営者だったんでしょ」

 そう言われてやっと思い出した。僕が今の仕事を始めるとき、作った名刺に有村の名前も一緒に記載していたことを。

 

 もちろん彼は実際には経営には関わっていない。彼の名前を共同経営者なんて大層な名義で名刺に載せたのは、僕の独善だ。もう一度彼に会いたい。一瞬だが、正しく分かり合うことの出来た相手――それが有村という男だった。

 もう一度会って、最後に交わした会話を取り繕いたかった。言葉が不完全なものであることを有村に知ってほしかった。それが結局、ただの言い訳に過ぎないにしてもだ。彼は僕のそんな姿を見て落胆するかもしれない。俗っぽく言い訳を重ねる僕は、ただ醜いだけだろう。でも、有村は僕のそんな姿を見せることができるただ一人の相手だった。長い人生でただ一人の――。

 やり場のない有村への思いが、僕に彼の名前を使わせた。名刺とはいわば僕の分身だ。一枚の紙からすべてを伝えることは不可能だが、それは言葉を重ねたところで変わらない。後付の理屈で固められていくだけだ。僕は名刺に彼の名前を載せることで、どこか安心しようとしていた。ふと自分の名刺を裏返すと、彼の名前が書いてある。ただそれだけのことで、彼がまだ地球上のどこかで生きてくれているような気持ちになれた。僕はそうやって自己暗示をかけることで、どうにか日々を生きていた。

 

 それが彼の身元の確認というきわめて現実的な形で功を奏した。皮肉なものだ。

 

 ◆

 

 僕らは廃墟と化した遊園地で寝ることにした。僕が最初に言ったとおり、有村も寝袋だけはきちんと持ってきていた。チェーンで括りつけられていた入り口のゲートを越えて、園内に入る。それほど大きな敷地ではなかったが、遊園地を名乗れるだけの最低限の遊具は存在していたようだ。乗り手を失ったメリーゴーランド。回ることのないコーヒーカップ。僅かに風が車体を揺らすだけのジェットコースター。ガラスの割れた建物の中に入ってみると、そこはお土産売り場だった。昔、修学旅行で訪れたドライブインのような配置に、思わず懐かしくなる。色の落ちた商品のサンプルだけがいつまでも客を待ち受けている。まだ残っていたパンフレットを手に取って、スマホの光で照らして読んでみた。二つ折りのパンフレットでは、ぬりかべのようなマスコットキャラクターが園内の案内をしていた。なぜぬりかべなのかはわからない。しかし、その陳腐な夢のイメージはここに至って兵になったわけだ。

 僕らは人のいない遊園地を一通り歩き回った。四方を山に囲まれていたので外から見つかる危険はない。警備システムが生きていると少しやっかいなことになるが、まあ大丈夫だろう。

「なんだか、昭和に戻ったみたいだな」

 もちろん、僕も有村も昭和を知らない。ただ歴史として、知識として知っているだけだ。この遊園地のあらゆる場所が、自分たちが昭和からの使者であることを絶望的なまでに主張していた。もう今は平成なのだ。日本の長い戦争は終わったし、学生闘争もない。胡散臭い経済成長も弾けて、冷たい戦争は凍ったまま砕かれた。僕らにとって、昭和は色彩を持たない暗い時代に過ぎないのだ。

 

「山じゃなかったな」

 僕らは観覧車を動かしていた管制室の隣で、寝袋にくるまっていた。空を見ると、必然的に観覧車が目に入る。それは遠くから眺める時とはずいぶん様相が違って見えた。

「お前がここまで走らせたんだろう」

 目的地が変わってしまったことに対して、僕は少し引け目があった。もしかしたら有村は、山に行くことをとても楽しみにしていたかもしれなかったからだ。

「それに、だいたい合ってる」

 それは杞憂だった。いや、もともと分かっていたのだ。僕と有村は似たもの同士なのだから。有村の突拍子のない行動に呆れるのは、ある意味で自分のやっていることが滑稽に見えているだけなのだ。僕らはそういう友人だった。

 でも、確かめずにはいられなかった。

 

 

 僕は四ヶ月ほど仕事をこなして、それから二週間の休暇を取った。海に行くためだ。有村との約束もあったので本当はもっと早めに行きたかったのだが、それを交わしたのは八月の半ばだった。真夏の海水浴場では意味がないのだ。もっと季節が外れた、人の居ない時期でないといけない。今思えば、僕たちの行動における至上命題は「人ごみを避ける」ことだったのかもしれない。

 

 有村は姿を消した。廃墟の遊園地から帰ってきた時が、僕らが最後に交わした会話になった。

「俺はうらやましいよ」

 シャワーを浴びていないせいでごわごわになった髪をいじりながら、有村はそう言った。

「俺の周りには誰もいない。谷合と違って」

 僕は少し考えた。確かに有村は友人が多いとはいえなかった。それは概ね有村自身のせいだったが、それでも彼に惹きつけられる人間が一定数いたことも確かだ。今付き合っている三人目の彼女もそうだし、有村が居酒屋で会ったというベンチャー企業の社長だってそうだ。未だ彼女の一人も作れず、見ず知らずの人間と親交を結ぶこともできない僕とは大違いだ。とはいえ、それらの関係の成り立ちが「友情」と違うということもまた事実だった。

「でも、有村は僕よりも賢いよ。何だって出来る」

 僕は有村を慰めるつもりでそう言った。でも僕は彼にそんなことを言うべきではなかった。有村自身わかりきっていたことなのだ。彼が求めていたのは確認などではなく、自分に向けられた新しい言葉だったのだ。僕と有村が似たような思考と嗜好で世界と相対していながら、決定的に違う点がある。有村が「不完全な完全さ」でなんとか世界にコミットしているのに対し、僕は「完全な不完全さ」でするりと世界に入り込んでいるのだ。

 その会話の後、僕らはすっかり黙ってしまった。これまで親密だった空気がどことなくよそよそしく感じられた。僕はたまらなくなって車の窓を開けた。外から入ってくる空気は排気ガスだらけだった。誰も僕らの帰りを歓迎していなかった。

「次は海に行こう」

 僕は信号待ちをしている間、有村にそう言った。山の次は海。自然な流れだ。

「でもそう言って、結局動物園の廃墟にでも行くんだろう?」

 有村はまたつまらない冗談を言った。

「約束だからな」

 僕らは車の中で握手をした。そしてその約束が完全な形で果たされることはなかった。それもまた自然な流れだ。

 

 僕はスクラップ寸前のマーチを駆って、海に行った。どこの海に行ったのかまでは憶えていない(関東からは出ていない)が、とても荒漠とした砂浜だった。海の家は例外なく朽ち果て、海岸線沿いの施設はほとんどが潰れていた。中には心無い人間に荒らされた形跡のある建物もあった。いったいどこの物好きがこんな僻地に足を運んで罪のない建物を荒らしていくのだろう。

 僕はその中から何とか営業している四階建ての小さなホテルを見つけた。フロントにいたのは背中の丸まったおばあちゃんで、この地域にまったく知識のない僕にとても親切にしてくれた。ただ、ホテルの人間が老人だったせいで、周囲の終末感はますます影を強めていった。

 僕は荷物を部屋に置いて、近くの港町に行くことにした。フロントのおばあちゃんによると、そこがこの付近で唯一生き残って栄えている場所らしい。海に沿ってずっと右に進んでいくと着く。そこには駐車場がないので、徒歩で向かう。夜中は暗いので気をつけて、ということだった。

 

 

 僕は有村の葬式には行かなかった。そこが僕の欠点だ。

 

 

 冬の海はとても寒かった。冷たい潮風が、浜を歩く僕を襲う。僕は風が吹くたびに立ち止まって、風が止むのを待たなければいけなかった。そうこうしているうちに日が暮れ、だんだんと辺りが暗くなっていく。せめて完全に日が沈む前には港町には着こうと思い、少し歩くスピードを速めた。

 町は小さく、今にも無くなってしまいそうだった。商店街らしき通りはシャッターが降ろされている。ステレオタイプの田舎町だ。たまに開いているのは、赤いちょうちんのぶら下がった居酒屋か、暗いトーンのスナックばかり。それらのスナックは例外なく小洒落た名前を与えられていた。「アルターネイト」「アンティーク」「ザ・ダーク」……。中に居る店員の境遇を思うと胸が切なくなる。

 人ともほとんどすれ違わない。数少ないとはいえ店が開いているのだから、一定数の人間は住み着いているはずだ。しかし僕がすれ違うのは魚目当てに繁殖したであろう猫と薬局の前に立っているゾウの人形だけだった。

 

 僕はその町を歩いているうちに、強烈なデジャ・ヴュを感じた。その町が醸し出している雰囲気は、僕がかつて二週間ほど過ごしたとある島にそっくりだったのだ。

 

 

 僕がその島に行ったのは高校生の頃だ。島と言っても実家から三時間ほどで行ける距離にある、小さな名も無い島だ。気分転換のつもりで一泊だけして帰ってくる予定だったのだが、思いもがけず長い間滞在してしまった。というのも、島と本州を結ぶフェリーが故障や季節はずれの台風で欠航し続けたせいだ。おかげで僕は何もない島で過ごす羽目になり、二週間ほど学校も休んだ。

 幸い、宿泊していた宿の女将さんがとても親切な人で、後半の一週間はほとんど無料で寝泊りしていた。そもそも僕がその島に行こうと思ったきっかけが家出のようなものだったので、家に帰らなくて済むのは好都合だった。とはいっても特にやるべきことがあるわけでもなく、時間を潰せるような設備も島には無かった。物心ついてから時間が有り余るという体験は生まれて初めてだった。

 僕は最初は旅館にあった本棚の本を片っ端から読み進めた。しかし本の冊数も多くない上に、内容が古くて読みづらいものばかりだった。読書に挫折したのは三日目で、この時はまだ本州に戻れる見通しは立っていなかった。どうするべきか考えながら旅館をうろついていると、廊下に飾られていた一枚の写真が目に留まった。その白黒の写真には、五十年前の島の様子が写されていた。畑で農作業をしている二人の男女。彼らがどういう関係なのか、写真から読み取ることはできない。写真自体も長い間飾られていたせいか、酷く薄くなってしまっていた。

 しかしその写真を見た途端、僕に激しい感情が湧き立った。心臓の鼓動は早まり、冷や汗が身体を伝った。四肢は震え、立つこともままならなくなった。

「僕はこの場所に行かなくてはいけない」

 そう思った。理由を考えることもなかった。ただ奇妙な感覚が確信として僕を支配した。

 

 その後の十日間、僕はいろんなところを歩き回った。島の人たちはみんな親切で、なかなか本州に帰れない僕の心配をしてくれた。その度に僕は少し居心地が悪くなった。天気が悪い日が多かったので、宿で傘を借りたこともあった。島の大部分を占める雑木林に入る時は必ず服が汚れた。着替えは二着しか持っていなかったので、宿で洗濯をしてもらった。

 そして七日目の夕方、ついに僕は写真の場所へたどり着いた。何の変哲もない、ただの畑だ。いや、ただの畑が当時から生き残っていることに驚くべきなのだろう。その頃には雨は止んでいた。僕は近くのうち捨てられた農具に腰を下ろして、写真と同じ角度でその畑を眺めた。雨上がりの空は夕焼けと合わさり、とてつもなく崇高なものに見えた。日が沈んで、雲が掻き消えて星空が見えるようになるまで、僕はその場を離れることはできなかった。僕の心を大いなる失望が包んでいた。写真の風景は、一瞬ゆえの奇跡だったのだ。

 

 その後の三日間は何をしたのか覚えていない。気がつくと僕は本州の港に立っていた。近くの喫茶店でコーヒーを三杯ほど飲んで頭を切り替えた。乗る電車を何回も間違えながらようやく家に帰った。知り合いはみんな「大変だったね」「しんどかったでしょ」と僕に言った。誰も僕の生活なんか想像できやしないのだ。

 

 

 僕は小さな食堂の扉を開けた。中にはポロシャツのお爺さんが一人、カウンターに座って神棚の隣に置かれたテレビを見ていた。僕に気がつくと「いらっしゃい」とだけ言って、カウンターの奥へと引っ込んだ。僕はカウンター席に座って、手元のメニューからしょうが焼き定食を頼んだ。頼んだ後で、ここが港町だということを思い出した。

 

 寂れた港町を後にして、来た時と同じように砂浜を歩いてホテルまで戻った。おばあちゃんの言っていた通り、海岸線沿いの道には街灯が一つもなかった。昔も今も必要なかったんだろう。寒さに震えながらホテルまで着くと、おばあちゃんが外に出て僕に向かって手を振っていた。

「あんまり遅いから、心配したんですよ」

 僕は礼を言って、自分の部屋に戻った。そのホテルも、今はもう無い。

 

 

 それにしても、有村はどこで僕の名刺を手に入れたのだろうか。廃墟の遊園地以降、有村からの連絡は、彼女から受け取った手紙だけだ。僕がそれに返事を出す前に有村は頭が吹っ飛んで死んでしまった。僕の彼へのメッセージは、まだどこにも発信されていない。有村はそのメッセージをどこで受け取ってくれたのだろう……。

 

 そうして僕はもう一度海に行くことにした。ちょうど季節は十月で、シーズン・オフだ。あの寂れたホテルがまだ残っているといいのだが。もう車はないので、電車を乗り継いでいくことになる。ただの気楽な一人旅だ。

 

 

 あれから二十年が経った。僕は二回結婚して、二人の子供がいる。

 

 今でもたまにラジオで彼らの曲が流れる。僕らが親交を深めるようになった、きっかけのバンドだ。それを耳にするたびに、僕はいつも有村のことを思い出すのだ。

 大騒ぎした夏の終わり。僕らは、誰も聞かない声で叫んでいた。

(RKTY’s 坂上稜線)

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