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もし君が、もし僕が(坂上)

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 玄関のドアを開けると、ぴゅうと冷たい風が家の中に入り込んできた。僕は思わずドアを閉めてしまう。そうだ、もう季節は冬なのだ。カーディガンを羽織るだけで十分だった時期はとうに過ぎ去ってしまったのだ。

 だが僕には、冷たい風は単なる季節の移り変わり以上のものを思い出させた。かつて、僕の家に住み着いていた、ちょっと変わった猫の記憶。彼はいつも、冷たい風に乗って僕の記憶を刺激した。

 

 

 猫は、僕が家に帰ると既にそこにいた。あまりにも堂々とした振る舞いでソファーの上に寝転がっていたので、初めのうちは僕自身が間違って別の家に入ってしまったのではないかとも思った。だけど家の鍵が他の家の扉と合致することなんてそうそうないだろうし(仮にあったとしてもご近所同士というのは考えられない)、第一家具の配置や家の匂い、テーブルの上に置いてあった僕の名前が書かれた郵便物も僕の記憶の通りのままだった。つまり、猫がどこからか僕の家の中に入り込んできたのだ。

 猫はソファーの上ですやすやと眠っていた。あまりにも安心しきっているその姿からは、野性の類はほとんど感じられなかった。なんだか猫の姿を見ていると、自分の記憶に自信がなくなってきた。僕は気を取り直して、アパートの窓や換気扇など、猫が入り込めそうな場所をいくつか点検してみた。しかしどこにも、猫が通れるほどの隙間は見当たらなかった。風呂場もトイレも、窓は固く閉ざされていた。密室だ。いったいどこから入ってきたのだろう……と思いながらリビングに戻ると、猫は目を覚ましてソファーの上に鎮座していた。僕は思わずびくっと身体をすくませた。猫がじっと僕の姿を見ていたからだ。まるで今にも言葉を発しそうなくらいに……。

「こんにちは」

 そこで猫が本当に言葉を発するとは、夢にも思わなかったのだけど。

「君はこの家の主人か?」

 猫は流暢な日本語で僕に語り続けた。僕は混乱する頭を抱えながら、彼の――オスかメスかはわからなかったけれど、彼の声は青年男性そのものだった――演説を聞き続けるしかなかった。

「勝手に上がりこんですまないと思う。この国では確か、土足厳禁という文化があったはずだな?」

 猫ならどの国でも土足だろう……とも思ったが、そんな些細なことよりも、考えなければならないことが目の前にはある。

 

 知らない猫が、人の言葉を喋って、僕に話しかけている。

 

 僕は小さな頃から大人しい性格と言われ続けて、実際自分もそういうものだと思い込んでいたが、このときほど動揺したことは今考えても他にない。何せ「猫は人の言葉をしゃべらない」というある種の暗黙の了解(たぶん動物学的にも証明はされているのだろうけど)が、思いもよらない角度から崩されてしまったのだ。

「私ばかり話していても仕方がない。君からも何か一言ないのかね? せっかくこうして会うことができたのだ」

「……会うことができた?」

「うむ」

 猫は一人で納得して、満足そうに首肯した。

 

 

 結論から言えば、猫は猫ではなかった。猫の形をした別の生き物……もっと端的に言えば「宇宙人」ということだ。ただ彼は、自分のことを「宇宙人」と呼ばれるのを嫌がった。「異星人ならいい」と言うが、それらにどれほどの違いがあるのかはよくわからなかった。

 彼の住む星は地球に近い場所にあった。といっても、宇宙という広大なスペースにおいての「近所」という話だ。五分や十分で行ける距離ではないし、実際に地球人の誰もその存在に気付いていない。

「何をしに地球に来たんだ?」

 彼と対面してから一時間も経つ頃には、僕はすっかり彼の話を信用していた。確かに常識はずれな物語ばかりではあったけど、僕が拙い脳味噌で不安定な仮説を立ててそれにすがるよりも、彼の言うことを頭から信じた方がいろいろとラクだったのだ。

「この星の調査だよ。どのような文化があって、どのような生物がいて、どのような活動があって……君達もよくやっているのだろう」

「いや、僕の知る限りでは、地球人は他の惑星には到達していないよ」

 僅かな時間、月に降り立ったことを除いてね、と僕は付け加えた。

「なんだと?」彼は僕の話を聞いて大層驚いたようだった。その証拠に、彼が象っている猫の姿が一瞬ぐにゃりと歪んだ。

「私はここに来る前に地球の資料をいくつか読んだ。その中には、他の星の様子が詳細に書かれているものもたくさんあったぞ」

「……例えば?」

「映画とか、アニメとかいったな」

「それはフィクションなんだよ」

「フィクション?」

「作り物。人間が想像して、勝手に描いているもの」

「想像だと?」彼は再び狼狽した。

「あれだけ正確に描写されているものが、想像上のものだというのか?」

 

 

 つまり彼の母星では、地球でフィクションとして作り出された創作物を真に受けて、地球の技術力を量ってしまったというわけなのだ。異星人すらも騙す地球のクリエイターにも衝撃を受けたが、どちらかというと、途轍もなく大きなドジを踏んだ彼の星に驚いてしまった。彼の星では全員が、地球の高い技術力を信じているのだ。まあ、ある意味ではそれは間違っていなかったわけだけれども。

 

 彼が自分の姿を猫にしたのにはそれなりに理由があった。「人間と会話することができる」「移動しやすく、どこにいても不自然でない動物」「人間社会を第三者として観察することができる生物」というのが、そのわけだ。

「猫は人間とは話せないよ」

 僕が彼の知らない地球の話をすると、大抵の場合、彼の身体の輪郭は歪んだ。

「さすがにそれは冗談だろう? 私はこの目で、猫に話しかけている人間の姿を見たぞ」

「人間が一方的に話しかけてるだけじゃないか?」

 すると彼は珍しくうなだれて、小さな声でぶつぶつと呟いた。

「……確かに、猫は言葉を発していなかったな……」

 どうにも早とちりするのが、彼の住む星の特徴らしかった。

 

 とはいえ、「人間社会を第三者の視点で観察する」という点においては、彼が猫に姿を変えたのはそれなりに正しい選択だった。しばらくの間は、僕が学校やバイトを終えて家に帰ると、彼の質問責めに遭うことになった。それが一ヶ月ほど続いたところで質問の数が減り、いつしか世間話までするようになった。異星人と日本の交通事情について話すなんて、夢にも思わなかった。

 

 ところで彼は猫になっているのだから、自然と猫の社会に組み込まれているはずだった。猫については詳しくないからよくわからないが、猫には猫なりのルールがあるはずだった。

「猫社会はどんなものなんだ?」

 ある時、僕は彼にそう聞いてみた。

「大したものじゃないよ。よくある動物に過ぎない。なぜ人間が猫を愛でるのか、まだよく理解できないな」

 そういうものか、と僕は思った。

 

 そして彼に名前はなかった。彼は自分の名前を名乗らなかったし、僕もあだ名のようなものを付けようとはしなかった。どうしても彼を呼ばなければいけない時は「あんた」とか「君」と呼ぶようにした。それは彼も同じで、大抵の場合において僕のことを「君」と呼んだ。僕らの関係は概ね、それで不自由なく進んでいた。

「あんたには名前があるのかな?」

 いつだったか、僕は彼にそう聞いた。

「もちろん。君にだって、名前はある」

「でも僕に教える気はないんだね?」

「その方がいいと思うから、そうするのだ。決して君のことを信頼していないわけではない」

 

 

「そろそろだ」

 それは冷たい雨の降る冬の日だった。僕はバイト先で少々嫌なことがあって、彼を相手に愚痴を吐いていた。その頃には僕らはもう気の置けないルームメイトくらいの仲になっていたから、彼も僕の言葉にうんうんと頷くようになっていた。

「何が?」

 彼の言う「そろそろ」という言葉。もちろん、僕には全てわかっていた。こんな生活がずっと続くわけがないのだ。

「期限なのだ。私は自分の星に帰らなくてはならない」

 彼は猫の手で器用にベランダの窓を開けた。そこから冬の風が部屋の中に入り込んできた。

「君と別れなくてはならないのは悲しいことだ。別の星に住む生物同士でも、こうして友達になることができるというのに……」

「帰らなくても……いいじゃないか。ずっと地球にいればいい」

「そういうわけにはいかないのだ。私にも家族がいる。それに期限を過ぎても私が母星に帰ってこなければ、母星の人々は地球のことをどう思うか……わかるだろう?」

 彼は「地球とは良い関係を築きたいのだ」と付け加えた。

「……ああ」

「心配しなくてもいい。そのうち、また会うことができる。地球の技術は日進月歩だ。そのうちに宇宙だって自分の庭のように……」

「でもその時には、僕もあんたも生きてはいないんじゃないか」

「だろうな」

 彼は寂しそうな表情で僕を見た。

「だが、私たちが一時にせよ、枠組みを越えた友情を育んだことは確かな事実だ。それは、時間の流れで風化するものじゃないだろう?」

 彼はそう言って再び顔を外に向けた。尻尾がまるで本物の猫のようにぴょこぴょこと動いていた。そうだ……猫と話すこと自体が、そもそもおかしいのだ。

「だから、そんな風に涙を流すんじゃない」

 僕はいつの間にか泣いていた。というよりも、自然と涙が頬を流れていた。嗚咽を漏らすことも、動悸が激しくなることもない。ただ静かに、頬を涙が伝っていく感触があった。

「……確か、日本の宗教には変わった風習があったな? 居なくなった人をいつまでも祭りたてる……私をあれで祭り上げればいい」

「あれは死んだ人間にやることだよ」

「似たようなものだろ?」

「……かもしれないね」

 彼の姿が次第に変わっていく。それは彼が驚いた時のように、

「さあ。次に目が覚めたら私は居なくなっている。言い残したことがあれば聞いておくぞ」

「あんたはもう無いのか?」

「私が言うべきことは全て伝え終わったよ」

「……なんだか、ずいぶんあっさりしてるんだな」

「そんなことはない」

「言うべきことか……いざ考えてみると、ちょっと困るな」

「何も無いのか?」

「いや、あるよ。たくさんありすぎて、どこから手をつけたらいいのかわからないんだ……」

「欲張りなんだな」

「そんなこと……ないさ……」

「ゆっくり考えればいい。君が目を覚ますまで、私はずっとここにいるからな」

「そうだ……最後……に……君の……」

「名前か。いいだろう、これでお別れなのだからな」

 

 僕たちは光の中にいた。

 

 

 僕の記憶はそこで途切れていた。翌朝、目を覚ました時には、既に彼の姿はどこにもなかった。

 僕の家に、彼の痕跡はなかった。猫の姿をしていたから、私物の類がほとんどなかったのだ。僕は写真も取らなかったし、彼のために買い与えたものもなかった。それで僕たちの出会いはすべて終わった。残っているのは、一つの希望だけだった。

 

 

 僕はリビングに戻って、深緑色のトレンチコートを着た。そして誰もいないソファーを一瞥してから、家を後にした。

 

 そして僕は今、物語を書いている。僕はいずれ死ぬが、強い意思は文字として残り続ける。いつか彼がまた地球に戻ってくる日までに……。

 

(RKTY’s 坂上稜線)

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