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僕が生まれたその町で【前】(坂上)

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 僕は海の見える町で産まれた。

 といっても、両親がその町に住んでいたわけじゃない。

 母さんが入院していた産婦人科がその町にあったのだ。

 それが縁で、僕の名前は臨(のぞむ)になった。

 東海林 臨。それが僕の名前だ。

 

 

 

 

 物心がついてから、その町に足を踏み入れたことは一度もなかった。

 僕が産まれてすぐに遠くの町に引っ越してしまったこともあるし、そもそもその町には海水浴場以外に観光名所のようなものがひとつもなかった。

 このように、特に行く理由がなかったのだ。

 

 だから僕は両親の話にたまに出てくる「僕の産まれた町」について漠然としたイメージしか持つことができなかった。

 母さんはその町を「夕陽の綺麗な町」と言っていた。

 父さんはその町を「小さな灯台がいくつも立っている町」と言っていた。

 そのイメージが合わさって、僕の脳裏にはオレンジ色に染め上がった港町が常に存在していた。

 写真嫌いな父さんが唯一撮った、水平線に沈む夕陽の写真がそのイメージをより強固に固めていた。

 

 

 

 

「じゃあさ、行ってみようよ」

 

 僕がその話をすると、幼馴染みの藤崎 凛は持っていたペンを放り投げてテーブルに身を乗り出した。

 僕らは近所の喫茶店で夏休みの宿題の一つ、数学の問題集を進めている最中だった。

 

「行くって、どこに?」

「臨が生まれたっていうその町にさ。行ったことないんでしょ?」

「まあ、そうだね」

 

 そのとき、僕らは高校生だった。

 子供と大人の中間地点。微妙な年ごろだ。

 僕らは恋人として付き合っているわけではなかったけど、明らかに親しい友人以上の関係ではあった。

 

「夏休みの宿題にあったでしょ? いい景色ならスケッチの題材にちょうどいいじゃん」

「それは、まあ確かにね」

 

 僕らは高校の選択授業で美術を取っていた。

 もう一つの選択授業は音楽だったけど、僕は大勢の前で歌うのは嫌だったし、凛は自分が音痴であることを隠したがっていたのだった。

 

「でも、本当にいい景色かどうかはわからないよ」

「臨のお母さんは夕陽が綺麗だって言ってるんじゃない。大丈夫よ」

 

 僕らが幼馴染みということは、もちろん互いの両親とも交流が深いということだ。

 今はなかなか機会がないけれど、小さかった頃はよく一緒にキャンプをしたり、釣りが好きな凛のお父さんに連れられて河口湖に朝早くから行ったりもした。

 特に凛と僕の母さんはどこか通ずるものがあるらしく、今でもたまに一緒に買い物に行ったりしているらしい。

 だから、こうやって根拠もなく信用することができるんだろう。

 

「ほかに何か反論はある?」

「……いや、特に思いつかないな」

「じゃあ決まりね」

 

 凛はテーブルの上に広げていたノートや筆記用具をごそごそと鞄の中にしまいはじめた。

 

「おい、宿題はどうするんだよ。数学を教えてくれって頼んだのは凛だろ」

「予定変更! 臨のお母さんに、詳しい場所を聞きに行かなきゃいけないでしょ」

 

 僕は呆れながら、自分の勉強道具を片付け始めた。

 こうなったら、もう凛は誰にも止められないのだ。

 

 

 

 

 結局、僕と凛は明後日――木曜日に、その町に行くことになった。

 母さんから聞いた町の場所はここからそう遠くなかった。いくつか電車を乗り継いで二時間程度といったところだ。

 それならじゅうぶんに日帰りで行くことができる。

 

「日帰りね……ふうん」

 

 凛は少し不満そうだったけど、その理由はわからない。

 まだ高校生なのだから、旅費が安く済むに越したことはないと思うのだけど……。

 

 

 僕はその日の夜、なぜ僕をその町に連れて行かなかったのかを母さんに聞いてみた。

 僕の名前の由来になるほど思い入れのある町なら、一度くらいは家族で訪れてもおかしくはないからだ。

 母さんは僕の質問を聞くと、目をそらしてしばらく何かを考えてからこう答えた。

 

「その町に行けばわかるわ。たぶん、今でも……」

 

 僕は母さんの言葉の続きを待ったが、母さんはううんと首を振って「なんでもないわ」と言って台所に向かっていった。

 こうなったら意地でも喋らないつもりだ。母さんのそういう癖は僕だってよくわかっている。

 じゃあ父さんに聞こうか、とも思ったけれど、母さんと同じような反応をされるような気がしたのでやめた。

 そういうところはやっぱり夫婦なのだ。

 

 

 

 

 そして約束の日。

 僕と凛は最寄り駅の改札で朝の九時に待ち合わせた。

 僕はいつも通りのシャツにジーパンという出で立ちだったが、凛は初めて見る服を着て来ていた。

 大胆に足を露出させたホットパンツにノースリーブのシャツというのは、幼馴染みの僕ですら目のやりどころに困る服装だった。

 

「遅いじゃない。朝の駅で女の子を待たせないでよね」

 

 もちろん、本人にそんなつもりはないのだろう。

 たぶん一番動きやすい服装がそれだったのだ。

 

 通勤ラッシュは過ぎていたが、それでも電車はそれなりに混雑していた。

 なので僕らは普段利用しないグリーン車に乗ることにした。

 追加でいくらかお金は払ったけれど、グリーン車のシートのおかげで旅行気分に浸ることはできた。

 電車が動き始めてから少し経った後で、凛が鞄から水筒を取り出した。

 

「それは?」

「藤崎家謹製のアセロラジュース。臨と出かけるって言ったら、お母さんが持っていきなさいって」

 

 そう、凛のお母さんが作るアセロラジュースはとても美味い。

 市販のものより味が濃く、それでいて酸味が強すぎず、子供でも飲みやすいジュースだった。

 僕がそのジュースを気に入っていることを、今でも覚えてくれているのだ。

 

「ほら、コップ」

「ん」

 

 僕は凛からプラスチックのコップを受け取って、アセロラジュースを注いでもらった。

 考えてみれば、凛に飲み物を注いでもらうなんて初めてのことだった。

 特に意識してしまうわけではないけれど、なんだか妙な気分だった。

 

 

 

 

 その後、路線を二つ乗り継ぎ、僕らは目的の町にやってきた。

 僕が生まれた町だ。

 

 駅は小さな駅舎があるだけの無人駅だった。

 ホームにも人影はなく、ただ細い高台が続いているだけだった。

 電車が行ってしまうと、僕らは最果ての地に取り残されたような感覚に陥った。

 

「とりあえず、少し歩いてみよう」

 

 僕らは駅を出て、標識を見ながら海の方向へ歩き始めた。

 

 町はひどくさびれていた。

 かつて商店街があったであろうシャッターの並び、最盛期には海水浴の客が多く訪れたであろう朽ちたホテル、そしてひび割れたアスファルト――。

 車もほとんど通らず、出歩いている人も腰の曲がった老人ばかり。

 誰も渡らない信号だけが律儀に点滅を繰り返していた。

 

「思ってたよりもすごいね」

 

 凛がぼそっとつぶやいた。

 僕はあいまいに頷いて、夏の日差しを浴びながら歩き続けた。

 

 

 

 

 海にたどりついたのはお昼過ぎだった。

 かつて海水浴場だった砂浜は管理する者がいなくなり、流れ着いたゴミで溢れかえっていた。

 海の家と思しき建物は潮風に晒され、すっかり朽ち果ててしまっている。

 僕らは半ば呆然としながら、しばらくの間砂浜の上に立ち尽くしていた。

 僕の想像していた町の様子とは――たぶん凛の想像とも――、かけ離れた実態を目の当たりにしてしまったからだ。

 繰り返し押し寄せる波の音だけが、昔も今も変わらなかった。

 

「そうだ、灯台……」

 

 そうやって海の様子を眺めていた後で、僕はふと父さんの言っていた灯台の存在を思い出した。

 父さんの話によれば、この町には小さな灯台がいくつもあるはずなのだ。

 

「まだ残ってるかしら」

 

 凛の疑問ももっともだった。もうこの町に灯台が必要だとは到底思えないからだ。

 しかし、だからといって何もせずに諦めて帰るのだけは嫌だった。

 

 

 

 

 その後、僕らは開いている喫茶店を見つけて昼食をとった。

 店主の白髪のおじさんは僕がこの町で生まれたことを知ると、いろいろと町の話を聞かせてくれた。

 僕が生まれるよりずっと前に、この町の海には海底炭鉱があったこと。

 炭鉱の労働者とその家族が移り住んできたことで、人口が爆発的に増えたこと。

 その人間を相手にするための商店が軒を連ねた商店街が連日賑わっていたこと。

 しかし時代の変化とともに鉱夫が減り、人口の減少もまた急激に進んでいったこと。

 町の衰退に歯止めをかけるべく、新任の町長が観光施策を大々的に打ち出したこと。

 初めはうまく進んでいた観光施策だったが、やはり目玉となる観光名所のないこの町にはリピーターがつかず、年を重ねるごとに観光客が減っていったこと。

 そして今ではすっかり再生計画を諦めた年老いた町長がかろうじて町を支えているだけの、廃れた町となってしまったこと。

 

「炭鉱が海の底にあったからさ、普通の人が立ち入れないんだな。陸にあれば、廃坑として観光名所になったかもしれんのに」

 

 そう語るおじさんの目は窓の外の海へと向かっていた。

 

「たぶん、君が生まれたのは、この町が観光地として栄えていた頃のことだろうなぁ。今じゃこの町に産婦人科なんてないんだよ」

「ない? どうしてですか?」

「若い人がもういないんだよ。こんな働く場所もないようなところで生活していく若い夫婦なんておらんのだ」

 

 

 

 

 僕たちはおじさんに灯台の場所を教えてもらった。

 灯台はこの町が観光施策を始めた頃に設置されたもので、本来の灯台としての役割は当初からなかったらしい。

 今では観光地としては機能していないが、その跡は今でも残っているということだった。

 

「ねえ……がっかりした?」

 

 おじさんに描いてもらった地図を見ながら歩いている途中、凛が僕にそう聞いてきた。

 

「どうして?」

「だって、自分の生まれた町がこんなにさびれてるなんて思わなかったでしょ? ずっと夢みたいに素敵な町だって思ってたはずなのに……」

 

 凛は申し訳なさそうに頭を垂れていた。

 たぶん、この町に来ようと言い出した自分に責任を感じているんだろう。

 

「がっかりなんてしてないよ。ちょっと想像と違っただけさ」

 

 それにいつかは、自分ひとりでもここへ来ようと思っていた。

 この調子からするに、あと数年も経ったらさっきの喫茶店もなくなっていそうだ。

 それに間に合っただけでも、凛が急かしてくれて良かったと思ってる。

 ……と、本当は全部伝えられたらいいんだろうけど。

 

「そう……なら、良かった」

 

 やっぱり幼馴染みというのは、ヘンなところで気を使ってしまうものだ。

 

(続く)

 

 

(RKTY’s 坂上稜線)

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