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アイ・ゲット・アラウンド【前】(坂上)

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 それはとても短い間の話だ。僕が高校生で、受験勉強とか下らない人間関係とか、そういう何やかやに嫌気がさして発作的に家を出たときの話。

 

 

 僕はがむしゃらに電車を乗り継いで、見覚えも聞き覚えもない海沿いの田舎町にたどり着いた。無人駅だったので、僕は運賃を払わずに改札を抜けた。もう五時間以上もいろんな電車を乗りついでいたから、乗り越しの料金を真面目に支払ったら、僕の手元にある二千円は一瞬で消し飛んでしまう。ちょっとばかり良心は痛んだけれど、自分の命がかかっているのだ。こんな遠くまで来て、あっさりと警察に補導されるようなことはしたくなかった。

 潮風で腐敗した木造の駅舎を抜けて、僕が最初に目にしたのは荒廃したバスロータリーだった。ロータリー自体もかなりこじんまりとしていたけれど、タクシーやバスも含めてロータリーに車が一台も停まっていないというのは、僕にとっては衝撃だった。バス停らしき標識柱もあったが、日焼けやら風雨の影響で印刷が薄れてほとんど読み取ることができなかった。かろうじてわかったのは、駅と同じバス停の名前だけだった。近くに少し大きめの立て看板もあったけれど、何かによって印刷されていたものを引き裂かれたような跡が残っているだけだった。魅力的な街の紹介でも載っていたのかもしれない。

 周りにも商店のようなものは一つもない。コンビニくらいはあるだろうとたかをくくってきたけれど、そんな近代的な建築物は看板も含めてどこにも見当たらなかった。あるのはロータリーの向こうに点々と続く木造の家ばかりだ。それに、どの家にも人の気配が感じられない。こんなに暖かい陽気だというのに、どの家もカーテンを閉め切って、雨戸を立てている。それに、絶好の洗濯日和なのに、どこにも洗濯物がでていない。まだ昼の二時……洗濯物を取り込むにはちょっと早い。

 

 僕は少し不安になった。僕の想像の中の「日本の街」のカテゴリには、こんなゴースト・タウンは存在していないのだ。僕は駅に戻って時刻表を探してみた。それは駅のホームの隅っこにあって、屋根がないおかげでさっきのバス停と同じくらい色褪せていた(なんでそんなところに設置するのだ?)。僕は手で日差しを遮って、どうにか次にやってくる電車の時間を確認した。夕方の五時――今から三時間後。そしてそれを逃したら、今日中に電車はもうやってこない。それが終電なのだ。

 やれやれ、と僕は思った。一本の線路だけが木々の間を嫌になるくらいまっすぐに伸びていた。その光景はまるで世界の果てみたいだった。

 

 

 しばらく僕はホームの上に寝転がって空を見上げていた。誰も整備する人がいないから、ホームのあちこちから雑草が伸び始めていた。これから夏にかけてもっとぼうぼうに茂るんだろう。そのうち電車から降りるにも苦労するようになるんだろうか。

 こんな駅に停まる意味があるんだろうか、と僕はふと思った。駅の周りに人の気配はなく、誰一人として駅に降りず(三両編成の電車の中には他にも七、八人の乗客がいたけれど、僕以外にこの駅で降りようとする人間は一人もいなかった)、駅舎も今にも崩れそうだ。駅を廃止にするのにも金がかかったりするのかな、等と考えてもみた。

(……待てよ)

 しかし、突然何かが僕の頭に引っかかった。僕の考えのどこかに、違和感がある。人の気配がないこと? いや、それは確かだ。きちんと探せばどこかに住人もいるだろうが、少なくとも駅から見える範囲に人がいる様子はない。じゃあ駅を整備する人がいない点? それも違う。駅を存続させようと少しでも考えているのなら、せめて駅名の書かれた看板くらいは新しく替えるはずだ。じゃあ……?

(僕と同じくらいの人間が、この近くに住んでいる?)

 僕がこの駅に降りるとき、乗客の老人は僕の姿を見ていた。その中の数人とは、この電車に乗るときに軽く世間話を交わしていた。電車から降りるときには別れの挨拶もしたのだ。そんな人懐こい人が、僕を何も言わずにこんな僻地に降ろしていくだろうか? たぶんしない。何か一言、僕に言葉をかけるはずだ。「この駅には、若い人が泊まれる場所なんてないよ」とか、そんな忠告めいた言葉を。でもそれがなかった。ということは、この駅で僕のような若者が下車するのはそれほど不思議なことではないのだ。

 

 もちろん、これはただの推測だ。人の心の機微に様々なイレギュラーがあるのは、文字通り僕も痛感している。

 だけどこのときばかりは、それに賭けてみてもいいかなと思った。何より次の電車が来るまでじっとしていられるほど、僕は老成しちゃいない。気になることは自分の目で確かめてみたい。「今の時間よりも、時計の中を開けて見てみたいから」と歌ったのは、いったい誰だったかな?

 しかし今の僕には時間が無関係というわけじゃない。僕は念のため腕時計のアラームを四時半にセットした。

 

 

 街は思った以上にひどくうらぶれていた。駅から少し離れると、家の姿もほとんどなくなった。ただ青々とした原っぱが広がっていて、そのまん中をアスファルトの道路が貫通していた。贔屓目に見ても、この街では道路が一番新しい建造物だった。

 僕は道路に沿って歩いた。左側は常に海だったけれど、砂浜はどこにもなかった。道路標識によれば、この道路の先に何とかという砂浜があるということだった。海水浴場ではないようだけれど、シーズン・オフの海の姿を近くで見てみたいという気持ちがあった。どちらにしても、変に入り組んだ道に入り込んで迷うよりも、一本の道を辿った方が駅にも戻りやすい。それに――これは僕の直感だったけれど――僕と同じ年頃の若い人間がこの街に本当にいるのなら、彼もまた海の近くにいるように思えた。

 ちなみに道路を歩いている最中、車は一台もすれ違わなかった。トラックですらも。運輸の観点からも、この場所は完全に見放されているのだ。

 

 海はとても小さかった。いや、小さく見えたと言った方がいいだろう。道路は突き当たりの砂浜でぱったりと途切れていて、左右を断崖が挟んでいた。そのせいで砂浜は肩をすくめたようになっていて、(目測だけれど)たぶん三百メートルもないだろう。もちろん辺りには海の家や民宿の類は一切ない。車を止める駐車場すらもない。じゃあ何でここに通じるように道路を作ったのだ? 何もかもが不思議な街だった。

 僕は砂浜に立ってみた。相変わらず人の気配はなく、それは砂浜が綺麗なことからもうかがえた。一つのゴミもない。

 春の海は想像していたよりも荒れていた。波が大きく、少し離れた場所に立っていても海のしぶきが飛んできた。切り立った岩に打ち付ける波の音が、両脇の崖に反響して大きな音に聞こえた。

 僕は腕時計を見た。まだ三時。それほど駅から離れているわけじゃないみたいだ。僕は砂浜の上に寝転んでみた。細かくて白い砂が服の隙間から入り込んでくる。増幅された潮の匂いが交じり合って、複雑に僕の鼻を刺激する。だが嫌な気分はしない。僕はうるさいくらいに鳴り響く波の音を聞きながら、崖の合間から見える青空を眺めた。

 

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