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探偵 谷合悟郎の日記・1 スター・ゲイザー【後】(坂上)

この記事は約23分7秒で読めます

三、

 

「じゃあ、よろしくお願いします」

 谷合探偵事務所の前で、女の子……新発田洋子はぺこりと頭を下げた。実際にどうなのかはわからないが、初めて彼女を見た時よりもだいぶ気持ちが穏やかになっているように見えた。彼女に必要だったのは――問題の解決はもちろんだが――秘密の話し相手だったのだ。そういう意味では、悟郎は既に一定の役割を果たしたともいえる。このまま問題が解決できなかったとしても、洋子が悟郎に文句をつけることはないだろう。

(さて、と)

 だが、悟郎の頭の中にあったのは新たな問題への好奇心だった。彼はよい探偵の三つめの資質である「人よりも強い好奇心」も、きちんと持ち合わせていたのだ。

 

 

「さて、じゃあ写真の男について……どこまで調べればいいだろう」

 女の子の持っていた写真には、通勤ラッシュの人混みに埋もれる男の顔が写っていた。顔の皺ややや後退し始めていた頭髪の様子から、四十代だとあたりをつけた。わかりやすいように、事前に女の子が男の周りを赤いペンで丸く囲っていた。

「私が知りたいのは、この男性が今どうなっているのか……ということです」

「どうなっているのか……少し漠然としてるな。どこまで知りたいのか、どこから知りたくないのか、自分ではっきりと線引きをしてほしい」

「私は……」

 女の子はそこまで言って、一度言葉を切った。女の子は次の言葉を探して――あるいは最も相応しい表現を熟考して――何度も口を開いたり閉じたりした。それはまるで酸欠の金魚みたいだった。

「五体満足で生きているかどうか、です」

 五体満足……悟郎は驚いた。とても女の子の口から出るような単語ではないからだ。

 もちろん、その単語を初めて耳にしたわけではない。悟郎のもとにはあまり綺麗な仕事をしているとはいえない人間もやってくるし、そういう輩は往々にして人の生き死にに関して多彩な表現技法を身につけていた。彼らはそういう意味では詩人でもあった。

 しかし目の前にいる……それも、まだ二十五歳の悟郎の目から見ても年端も行かぬ女の子が口にする「五体満足」は、極めて冷徹な響きを持っていた。およそ温度というものが感じられない。実際にどういった概念であるかはわからないが、たぶん絶対零度というものを体験することがあれば、それはこうした絶対的な冷ややかさだろうな……と悟郎は思った。

「なるほど」

 悟郎はそう言うしかなかった。実際、まだこの女の子がどういった身分であるのかもわからないのだ。下手を打ちたくない気持ちもあったし、寝ている龍の尾を踏む必要もないと判断したのだ。

「つまり、彼の職業や交際については興味は無いと」

「はい。個人的なことは……悪い気がするので」

 健康状態は個人的なことではないという感覚は、悟郎にはよくわからなかった。しかし、今ここでそんな議論をする必要はない。

「じゃあ僕が調べればいいのは、写真の男の生死、そして現在の体の状態かな」

「はい」

「現在の姿は用意した方がいいかな? 写真に収めるとか」

「……そうですね。できるならば」

 既に女の子からは、さっき感じた冷ややかさは失われていた。目の前に座っているのは、自分より力を持つ人間に頼みごとをするだけのあどけない女の子だ。

「じゃあ、この写真はコピーさせてもらうよ」

 悟郎は女の子から男の写真を受け取って、複合プリンターでカラーコピーを選択した。機械が写真を読み取る音がする。僅かな時間だったが、悟郎はなんだか急に落ち着かない気分になった。ラジオでもかけようかと思ったくらいだ。だが実際に体を動かす前には、写真のカラーコピーは終わっていた。

「はい、ありがとう」

 悟郎は写真を女の子に返した。女の子は受け取った写真を、折れないように手帳の間に挟んでしまった。

「じゃあ面倒だと思うけど、いくつか書いてもらう書類がある。まずは……」

 

 

 洋子を見送った後、悟郎はまずパソコンの電源を入れる。複合プリンターをパソコンに繋いで、洋子に書いてもらった書類をパソコンに取り込む。そしてメーラーを起動して、取り込んだ書類のうちの一枚……洋子自身のプロフィールが書かれた画像ファイルを選択して新規メールに添付した。メールの宛先は「三島酒店」になっている。

 

「三島さん こんにちは

 新しい依頼人です

 今回は珍しく、年頃の女の子です

 まさかとは思いますが、万が一ということもありますので

 急ぎというわけではありませんが、なるべく今日中にお願いしたいと思います

 それでは」

 

 悟郎はそこまでを一呼吸で打ち込み、送信ボタンをクリックした。そして送信が完了したところまでを確認すると、Radikoを洋楽のチャンネルに合わせて、朝に買ってきた『魔の山』を手に取った。悟郎は洋楽はよくわからなかったが(それこそビートルズくらいしかまともに聴いたことはない)、音楽は好きだった。それも歌詞が耳に入ってこないようなインストの曲や、そもそも歌詞の意味がわからない外国の曲を好んで聞いた。たぶん、こういう性癖の人はクラシックに走るものなのだろうが、悟郎にとってクラシックはあまり心が穏やかになるものではなかったのだ。こういうのは好き嫌いの範疇であって、具体的な理由があるわけではない。ただ単に気に入らないだけなのだ。

 

 そして夕方の五時……まだ夜というには早い時間だが、この時期の日暮れはとても早い。辺りはとっぷりと暮れ、吉祥寺の街はすっかり夜の様相を呈していた。

 悟郎が『魔の山』の上巻を七割ほど読み終えたところで、パソコンがメールの受信を伝えた。悟郎は本の表紙の折り返しをページに挟み、届いたメールを確認した。

 

「問題なし」

 

 「三島酒店」からのメールは、その簡潔な四文字にすべてがまとめられていた。悟郎は脱力して椅子の背にもたれた。

 

 悟郎は依頼を受ける際に、まず依頼人の身元を明らかにすることから始めていた。もちろん、これは依頼人には知らせていない。

 信頼は時間によって築かれる。時間は何者にも代え難いが、時間を買うことはできる。それもより確かな、質のいい時間の使い方を知っている者もいるのだ。「三島酒店」はまさにそういった「質のいい時間」を提供してくれる悟郎の知り合いのうちの一人だった。

 

 とはいえ、悟郎が彼女を本当に疑っていたわけじゃない。実際に会って話した時点で、九十九パーセントは信頼していた。「三島酒店」に頼むのは、残りの一パーセントの確かさだ。悟郎はどんな人物から依頼を受けても(仮にそれがリピーターだったとしても)、必ずこの作業を怠らなかった。「三島酒店」への支払いは決して安い金額ではなかったが、本来値段の付けられないものを買っているのだ。やむをえない。

 

 が、謎は謎として残った。そんな普通の女子高生である新発田洋子は、なぜ写真の男の生死を気にかけるのだろうか?

 すれ違った人間に一目惚れした……まあ、よくある話だ。そうした依頼もたびたび悟郎のもとにやってくる。

 しかし彼女が悟郎に依頼したのは「男が五体満足で生きているかどうか」だ。一目惚れした相手を探すために、そうした表現を用いる人間がいるとはとても思えない。育った環境にもよるだろうから一概に決め付けるわけにはいかないが、三島酒店は「問題なし」と言っていた。もし彼女がヤクザの娘であったりするのであれば、問題なしと切って捨てるはずがない。

 だが、赤の他人の男の名前を知っているなんてことがありうるだろうか? 少なくとも、洋子と写真の男は何かしらの接点があったと考えるのが自然だろう。それは紛れもない「嘘」だ。

 悟郎が得た信頼というのは、洋子が写真の男の生死を「本当に」知りたがっている、ということだ。それ以上の真実、洋子が隠している事実は、悟郎が自ら見つけなくてはならない。

「……ま、いいか」

 悟郎は机の上に置いた読みかけの『魔の山』を再び手にとって、折り返しの挟んであるページを開いた。悟郎が苦心しなくてはならないのは、写真の男を見つけ出すということだけだ。悟郎は探偵ではあるが、刑事ではないのだ。

 

 

 次の日、洋子はいつものように起床した。いつものように洗面台の前で身だしなみを整え、いつものように母親の用意した朝食を食べ、いつものように家を出た。昨日、学校をサボってしまったことにはいささか罪悪感を覚えていたが、ここで学校に行かなくなる癖をつけてしまうのはまずいと思った。

 ただ、いつもと違う点が一つだけあった。通学のための電車に乗る時に、不必要に周りを注視することがなくなったということだ。あの写真の男は、きっと昨日の探偵が見つけてくれる――悟郎と実際に会って話したのは僅かな時間だったが、洋子は彼を信頼に足る人間だと判断していた。確証はない。第一印象と、洋子自身の直感によるものだった。

 

 昔話――。

 写真の男は、洋子が小さな頃に一度だけ会ったことのある人物だった。洋子は小学生に上がる前の数ヶ月だけ、千葉の親戚の家で過ごしたことがあった。母親が胃を悪くして入院することになり、仕事のある父親の手では洋子の面倒を見ることができなくなったのだ。今さら保育園に入れるわけにもいかないし、どうしようかと思った時に、ちょうど母親のお見舞いで来ていた親戚が提案したのだ。

「じゃあ、退院するまで家で預かろうか?」

 その親戚は母の妹で、母が父と結婚した後もよく家に遊びに来ていた。彼女はまだ独身だったが子供が好きで、洋子もよく懐いていた。彼女は千葉の松戸にマンションを借りて住んでいたので、少しばかり家は遠かった。この時期に環境が変わることについて懸念もあったが、「肉親なら安心できる」ということで両親は彼女に洋子の世話を頼むことにした。

 

 洋子から見て叔母にあたる彼女は、よく洋子の面倒を見てくれた。叔母は洋子の好き嫌いもきちんと知っていたし、彼女の大人しい性格も理解していた。洋子のために絵本もたくさん買ってくれた。洋子は誰かに読み聞かせてもらうよりは自分一人で読み進めることを好んだから、叔母もあえて無理に関わろうとはしなかった。

 叔母は物書きだった。女性誌でいくつかのエッセイと、週刊誌で連載小説を書いていた。収入は決して多くはなかったが、女一人が慎ましく暮らしていける分には充分だった。叔母自身は物書きという職に対して特別な感情を持っているわけではなかった。単に朝の通勤ラッシュに毎日もまれるのが嫌だっただけだ。つまり会社に出勤しなくていい仕事ならなんでもよかったわけで、その条件で叔母に合った仕事がたまたま物書きだったという話だ。

 家で仕事ができるという点が今回こういった形で功を奏したのは思いがけない僥倖だった。それに子供好きとはいえ、実際に一つ屋根の下で子供と生活をするというのは叔母にとっては初めての経験だった。あわよくば、新たなエッセイのネタになるかもしれない……そうした下心があったことも、間違いではなかった。

 

 洋子が叔母の家に預けられている二ヶ月間、洋子はほとんど外に出なかった。父親が様子を見に来た時にする外食や、新しい絵本を買いに行く時は別だが、少なくとも同じ年頃の子供のように公園で体を動かして遊ぶようなことは一度もなかった。それどころか、母親が恋しくて泣き出すようなこともなかった。洋子の好奇心は、基本的には絵本の方向へと向けられていた。あまりにも大人しいので叔母は少し心配になったが、まあそういう子供もいるのだろうと納得することにした。子持ちじゃない自分にはわからない分野なのだ。そう思うことにしたのだ。

 

 だが、叔母の家に預けられている間、洋子は一度だけ自らの意思で外に出たことがある。その日はしとしとと細い雨の降っている日曜日だった。叔母が急にエッセイの原稿を郵送しなくてはならなくなり(出版社のファックスが壊れてしまったのだ)、家を空けなくてはならなくなったのだ。

 初めは洋子も一緒に連れて行こうとしたのだが、洋子はリビングで夢中になって絵本を読んでいた。郵便局もそんなに遠くないし、大人しい洋子なら一人にしても大丈夫だろう……。叔母はそう踏んで、簡単な書き置きだけを残して家を出た。そして洋子は一人になった。

 

 洋子が家に自分ひとりしかいないことに気がついたのは、叔母が家を出てからほんの五分経った後だった。絵本を読み終えると、家の中がいやにしんとしていることに気がついた。普段なら、叔母さんが自分の部屋で音楽をかけながら筆を走らせている音が聞こえるのだ。だがその時、洋子に聞こえたのは玄関の下駄箱の上にある金魚の水槽のポンプの音だけだった。そしてそれは夜寝る時にしか聞こえてこないような、極めて静かな音だった。

 洋子はまず恐怖した。確かに洋子は他人よりも大人しい子供だったが、感情に乏しいわけではなかった。不慣れな家に、一人取り残される恐怖。洋子は部屋中のあらゆる扉を開けて、叔母の姿を探した。トイレ、風呂、布団の入っている押入れ、箪笥……。もちろん、叔母の姿はどこにもない。

 そして洋子はテーブルの上にあったメモを見つけた。そこには叔母の字で「ちょっとでかけます すぐにかえるから、いえでまっててね」と書かれていた。叔母さんは今出かけているのだ、だから家にいないのだ……洋子はそう理解できた。そして次に、「じゃああの場所に行けるかもしれない」と考えた。

 

 

四、

 

 ある日曜日のことだ。気温は日を追う毎に下がっていき、天気予報では降雪も危ぶまれていた。悟郎は当日の朝、洋子に「日にちを変えても構わない」と連絡を入れていた。彼女の家は吉祥寺から少し離れた場所にあった。もし雪が降って中央線が止まってしまえば、家に帰る方法は無くなってしまう。それを心配してのことだ。

「いえ、大丈夫です」

 しかし彼女は、まるでそんなことは無いと断言するかのようにはっきりと答えた。悟郎はそれを聞いて「じゃあ、気をつけて」と言うしかなかった。見た目は普通の高校生なのに――もちろん、生まれも育ちも至って普通だ――、時折大人よりも確固たる意志を見せる。彼女と面と向かって話したのはこの前に事務所に依頼を持ってきた一回だけだったが、悟郎は既に彼女を「一度決めたことは決して曲げない」頑固一徹の人間だと結論付けていた。

 

「遅れてすみません」

 その日は探偵事務所ではなく、吉祥寺の喫茶店で待ち合わせていた。というのも、つい昨日叔父の代から使い続けていた石油ストーブが昇天してしまい、まだ新しいものに買い換えていないせいだった。おかげで事務所はまるで冷蔵庫のような状態になってしまっていた。まあ一人でいる分には厚着をすれば済む話だが、まさか客に対してそんなことを頼むわけにはいかない。なるべく客の少ない(他人に話を聞かれる心配のない)喫茶店を選んで、そこで依頼された調査の結果を話そうということになったのだ。

「いや、時間ぴったりだ。謝ることはないよ」

 悟郎の腕時計は午後二時ぴったりを指していた。洋子はそれを見て「あれっ」と言った。吉祥寺の駅のホームに着いたのは、確か二時三分だったはずなのに……。

「まあ、座りなよ。暖かい飲み物でも注文してから話そう」

 確かに、喫茶店の通路にずっと立っているわけにはいかない。洋子は時間の謎をひとまず棚上げして、悟郎の向かいに座った。そしてホットココアとコーヒーを頼んだ。

「コーヒー?」

「谷合さん、そろそろ新しいコーヒーが欲しいかと思って」

「ああ、なるほどね。ありがとう」

 確かに、谷合の前にあるコーヒーカップには冷たくなったコーヒーが少し残っているだけだった。

「悪いね、こんなところに呼び出して」

 悟郎の指定した喫茶店は、駅前の商店街のはずれの地下にあった。カフェではない、昔ながらの喫茶店……といった風貌で、古臭いレトロな雰囲気が悟郎は好きだった。とはいえ年頃の女の子が入るような店じゃない。客が少ないのもそれが一因だろうし、悟郎が呼んだりしなければ洋子がこの喫茶店に入ることは決してなかっただろう。

「いえ……寒いよりは、マシですから」

 悟郎は笑いながら「確かにそうだ」と答えた。久しぶりに会ったが、冗談を言えるくらいには慣れてくれているようだ。

「雪はどうだった?」

「まだ降ってはいないです。いつ降りだしてもおかしくない空模様ですけど」

「実を言えばね」と悟郎は前置きした。「僕は雪が好きなんだ」

「雪が?」

「そう。自分の見知った場所が雪に埋もれて真っ白になっている光景というのは、僕にある種の感情を呼び起こさせる。ノスタルジー……という言葉がぴったりな気がするんだけど、僕の故郷に雪は降らない」

 そこまで話したところで、店員がココアと新しいコーヒーを持ってきた。洋子は店員に礼を言って、熱いココアにふーふーと息を吹きかけた。

「ここのココア、美味しいよ」

「飲むんですか、ココア」

「いや、飲んだことはない。でも常連さんは、いつもメニューを見ずにココアを頼むんだ」

 洋子はへえ、と思ってココアを一口飲んだ。確かに、洋子が普段家で作るインスタントのココアとは味が違った。甘さが後を引かず、すっと喉を通る。ココアの熱が身体の内側から広がっていくのが感じられる。思わず「はあ」とため息をついてしまうほどだった。

「君は本当に美味しそうに飲むね」

「いえ、美味しいです……これ」

 悟郎は笑って、自分もコーヒーを飲んだ。

「さて……じゃあ、そろそろ」

 コーヒーカップがソーサーに当たるカチッという音がする。その音は、客の少ない喫茶店の店内に大きく響いた。

「本題に入ろうか」

 

 

 写真の男を見つけ出すのはそう難しくはないように思えた。洋子から与えられた情報は男の写真と名前、そして乗り降りする駅。特に利用する駅が分かれば充分だ。後は時間と根気と運の問題であって、特に頭を悩ますような出来事が起こるとは思えなかった。もちろん、ある時期までは……という話だ。

 

 悟郎は朝の通勤ラッシュの時間帯に、男が乗降する駅の改札に立つことにした。東口と西口の二つがあったので、一日ごとに場所を変えた。駅員や警備員に怪しまれないように、いかにもサラリーマンのような服装もした。特殊な駅の構造のせいか改札口には常に冷たい風が吹いていて、一日でホッカイロを半ダースも使った日もあった。しかしそれを一週間続けても、男は一度も現れなかった。

 

 これが、例えば探している人間の馴染みの店に張っている……というのであれば何の問題もない。馴染みの店だからといって毎日来店するとは限らないし、ちょっと気が変わってもっと居心地のいい店を見つけてしまった可能性もある。自由に選べる人間は、得てして勝手気ままなものだ。

 が、これは少しばかり事情が違う。写真では見づらいが、男は確かにスーツを着ている。男がこの駅を使っているのは仕事に行くためなのだろう。行きつけの店と違って、仕事はそう簡単には変わらない。それに電車を使っているということは、それなりに遠くから通勤しているはずだ。安易に他の通勤方法に変わるとも思えない。そして一番わかりやすい手がかりを潰されたとなると、話はだいぶ変わってくる。名前から、男の足取りをどこまで辿れるだろうか?

 やれやれ、と思って気分を落ち着かせるためにタバコを口に咥えた時、ふと洋子の言葉がフラッシュバックした。

「五体満足で生きているかどうか、です」

 生きているかどうか……洋子は確かにそう言った。ということは洋子は、写真の男が生死の危機に瀕する可能性があるのではないか、と思っているということだ。

(人間の生存確認なら……あの爺さんのところだな)

 

 

「だけど、まず君にいくつか聞きたいことがある」

「私に、ですか」

 悟郎は鞄から大きな封筒を取り出して、机の上に置いた。

「この中には調査の結果が入っている。君が僕の問いにどのように答えたとしても、この結果は決して変わらない。僕はマジシャンじゃないからね」

 悟郎はそう言って両手を上げた。手品師が「種も仕掛けもない」と言う時の決まり文句だ。

「だから、もう嘘はつかないでほしい」

 悟郎がそう言うと、洋子はドキッとしたように身体を強張らせた。

「責めてるわけじゃないんだ。僕の考えが正しければ、君が嘘をつくことも理解できる。ただ答え合わせをしたいだけなんだ。頼むよ」

「……わかりました」

 洋子はしばらく考えてから(その間に二人の飲み物はすっかり冷めてしまった)そう答えた。

「写真の男が赤の他人だっていうのは……嘘だ。少なくとも君は男を知って……いや、覚えている」

 

 

 その時、叔母の部屋だけが唯一の既知の場所だった洋子にとって、外に出るということは大きな冒険だった。自分が生まれ育った家と違って、叔母の家の周りに何があるのか、ほとんどわからないのだ。わかるのは、マンションの出入り口から近くの本屋やファミレスに行く道だけ。それもほとんど一本道だったから、少しわき道に逸れてしまったらどうなっているのか見当もつかない。それでも洋子は、外食した時に外で見かけた「貯水タンク」に行ってみたかったのだ。

 

 その貯水タンクは、マンションの近くの雑居ビルの屋上にあった。洋子にとって幸運だったのは、その貯水タンクの場所がある雑居ビルの名前を覚えていたこと(更に言えばビルの名前がカタカナだったこともある)、叔母さんが勘違いして休みの日の郵便局に行ってしまったこと(そのまま少し離れたクロネコヤマトまで向かっていたので、時間がかかったのだ)、そして雑居ビルにはほとんど誰も使っていない非常階段があったこと。洋子は目ざとくその非常階段を見つけて、一歩一歩ゆっくりと登っていった。非常階段は鉄で出来ていたが、一段一段が非常に高く、洋子はほとんど這うような形で登らざるを得なかった。しかも階段は網目のようになっていて、下の景色がちらちらと目に映った。ただしその恐怖が洋子を包むまでには、もう少し時間が必要だった。

 

 貯水タンク――結論から言ってしまえば、その貯水タンク自体は至って普通のものだった。中に死体が入っているといったドラマティックな要素はなかったし、むしろ錆だらけで本来の用途にも使えなさそうな代物だった。

 ではなぜ、洋子はそんなものに心惹かれたのだろうか? 叔母と父と外食をした帰りにふと空を見上げた時に見かけた、雑居ビルの貯水タンクを「もっと近くで見てみたい」と思ったのだろうか?

 その理由はわからない。洋子はその後も幾度となく貯水タンクを見かけたが、もうあの時のような輝かしい好奇心は生まれなかった。「あの時に」「あの場所で」見かけた貯水タンクだからこそ、の好奇心だったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、必死の思いでたどり着いたビルの屋上にあった貯水タンクには何の問題もなかった。その頃の洋子には普通と定義できるほど多くの貯水タンクを見てきたわけではなかったけど、そこに特別なものが何もないということは理解できた。あの時、地上から見上げた貯水タンクはここにはない……洋子はとてもがっかりした。

 そして冷静になった洋子は、唐突に不安に襲われた。自分がこの穴だらけの非常階段を登ってきたなんてとても信じられなかった。貯水タンクへの不可思議な憧れが、恐怖という感覚を麻痺させていたのだ。洋子は木に登って降りられなくなってしまった子猫のようになってしまった。早く戻らないと叔母さんが帰ってきてしまう。もしそうなれば、家を空けていたことを怒られるかもしれない……。ビルの中から降りていこうと考えたが、ビル内に通じるドアは固く閉ざされていた。ビルの人間だって、誰もこんなところに来ないのだ。

 こんなことなら叔母さんを連れてくればよかった……と思った。そもそもなんで自分は一人でここに来ようと思ったのだろう? 恐怖からくる混乱のせいもあって、思考がもつれて止まらなくなってしまう。洋子は人前ではほとんど泣いたことはなかったが、この時ばかりは圧倒的な恐怖に身が捩れそうになった。世界に自分ひとりしかいない……そう思えた。

 

 

「はい」

 洋子は悟郎の問いかけにあっさり答えた。ヘンに緊張されるより、やりやすくていいと悟郎は思った。別に弾劾裁判をしてるわけじゃないのだ。このくらい毅然としてくれていたほうがいい。

「そして君が男のことを知ったのはだいぶ昔の話だね。もしかしたらまだ小学生にもなっていなかったかもしれない」

 洋子は頷く。

「たまたま電車の中で男の姿を見つけた君は、何とかしてその姿を携帯電話の写真に収めた。……すごい行動力だ。よほど、男の足取りを知りたかったんだろうね」

「その時には……気がついたら、ケータイを使っていました」

「ここが僕の疑問の一つだ。なぜ君は、この男にそれほどの執着を見せるのだろう? 言い方は悪いかもしれないけど、とてもまともな行動とは思えない」

 洋子は迷った。男のことを悟郎に話すべきかどうか。

 考えてみれば、洋子は男のことをこれまで誰にも話したことがなかった。友人、学校の先生、両親、そして叔母さん……。それは、男のことを話せばあの「貯水タンク」のことも話さなければならなかったからだろう。洋子の中で、男は常に「貯水タンク」と共にあり続けていたのだ。

 

 だが改めて考えてみると、自分がなぜ「貯水タンク」のことを秘密にしているのかわからなくなっていた。確かに変わり者だとは思われるかもしれない。そしてそれは学校という未熟で閉じたコミュニティの中ではある種のハンデになるかもしれない。

 それでも、誰にも話さないでいる必要はどこにもない。両親に話したっていいだろうし、洋子にも気の置けない友人はいる。笑い話くらいにはなるはずだ。なぜ、自分は今まで頑なに「貯水タンク」を守ってきたのだろう……?

 

 

「おわっ」

 すると突然背後で声がした。洋子は自分以外に人間がいるとは思わなかったので、驚いて反射的に飛び上がってしまった。

「な、なんだ……子供がなんでこんなところに」

 洋子の後ろにいたのはスーツを着た大人の男だった。洋子も驚いていたが、男もまた驚いていた。まさに狐につままれた、といった表現が的確だった。

「どうやって登ってきたんだ?」

 男はそう言って辺りを見渡した。男は洋子に話しかけているのではなく、独り言を言っていた。心細かった洋子は、赤の他人とはいえ自分以外に人間が……それも大人という頼ることの出来るものがいたことが嬉しかった。緊張の糸が切れた洋子は堰を切ったように泣き始めた。

「お、おい」

 男は焦った。男はただタバコを吸いに屋上に来ただけなのだ。屋上は禁煙だったが、屋上の扉の鍵は自分しか持っていないからばれることはない。そう思っていた。

 だが、屋上に居たのはビルの人間ではなく、見ず知らずの小さな女の子だ。どうやってここまで来たのか……それに、なぜ泣き始めたのだ? 自分は何もしていないはずだ……。

 

 男は仕方なく泣きじゃくる洋子の前に屈み、洋子の様子をうかがった。声をかけるでもなく、手を差し伸べるでもなく、頭を撫でるでもなく。ただ洋子の前に居ただけだ。男は子供をあやす方法なんて何も知らなかった。そこに居てやるしかできなかった。

「泣き止んだか?」

 だが、洋子にはそれで十分だった。洋子はまだしゃくり上げていたが、目の前に大人がいるという事実だけでよかったのだ。

「ここは入っちゃいけないんだ。わかるか?」

 洋子が落ち着いたところを見計らって、男は洋子に声をかけた。洋子は少し間をおいてから、その言葉に頷いた。

「家は近いのか?」

「……そこ」

 洋子は叔母さんのマンションを指差した。ビルの屋上だったので、まっすぐ示すことができた。

「あのマンションか」

「うん」

「一人で帰れるか?」

「うん」

「よし」

 男は立ち上がって、ズボンのポケットから財布を出した。そしてその中から一枚の紙を取り出して、洋子に手渡した。

「これは名刺、って言うんだ。俺の名前と電話番号が書いてある」

「めいし?」

「もし家に帰るまでに困ったら、近くの大人にこれを見せればいい。本当は送ってやりたいけど、屋上でサボってたのがばれるとまずいからな」

「さぼるの、いけないんだよ」

「……よく知ってるな」

「おばさんがいつもいってるの」

「それはそれは……仕事熱心なことで」

 男はなんだか小さな子供に説教されているような気分になった。まったく、さっきまで泣いていたっていうのに……。

「さ、暗くなる前に帰りなよ」

「うん」

 

 

「なるほど」

 悟郎はそう言ってコーヒーカップに口をつけた。

「名刺をもらっていたのか。それなら名前がわかったのも頷ける」

「もうボロボロですけどね」

 洋子はそう言って財布からその名刺を取り出した。確かに、四隅はぼろぼろに折れ曲がり、印刷もだいぶ掠れてしまっている。それでも書かれている文字はなんとか判別することができた。

「浅田 武博(あさだ たけひろ)」

 名刺には、確かに洋子が事前に悟郎に知らせた通りの名前が書かれていた。

「この人が、写真の男の人だったんだね」

「はい。だいぶ昔のことだったので、あんまり自信はなかったんですけど……」

 洋子ははにかんでそう言った。悟郎は洋子の確かな観察眼に素直に感嘆した。十年も前、それも幼い頃の記憶だ。あやふやな部分もあるはずだろう。それをここまで正確に……。

「だとすると、この調査結果は君にもある程度予測はついているかもしれないな」

 悟郎はそう言って、封筒をそっと洋子の前に差し出した。

「君の知りたがっていたことが、この封筒の中に入っている。今見るか、それとも持ってかえってから一人で見るか……それは自由だ」

 

 

「アサダ タケヒロという人物は名簿にはなかった」

 初老のバーテンが、グラスを磨きながらそう言った。ここは吉祥寺の繁華街の外れにあるバーだ。昼間から営業している珍しいバーだが、それよりも珍しいのは、酒飲み以外も多く来店するということだった。

「そうか」

 悟郎はカウンターの席でバーテンと向かい合って座っていた。悟郎はタバコを吸っているだけで、何も飲んでいない。こういう客が、このバーにはよく来るのだ。

「ただ、ちょっとだけ気になることがあってな」

「気になること?」

「似たような顔をした、同じくらいの年代の人間なら名簿に載っていた」

「似たような人物なんて、それこそごまんといるだろ?」

「名前はカワシキ タケヒロ」

「……下の名前が一緒か」

「そんなに珍しい名前でもないがな。ついでに調べてやったが、カワシキ タケヒロが結婚したのは今から五年前だ。アサダ タケヒロというのはいつごろの情報だ?」

「僕が知ったのはつい先日だが、情報の大元がどこかはわからない」

「一応写真も持ってきた。自分でも確認してみてくれ」

 バーテンはシャツのポケットから一枚の写真を取り出して、カウンターの上に置いた。正式な書類の写真らしく、こちらをキッと見つめていた。ただ、どこかきちんとまとまらない……出口のない迷路のような雰囲気があった。

「確かに、よく似てるな」

 洋子の撮った写真と並べてみると一目瞭然だ。実際に会ったことはないが、同一人物と言い切れる。書類の写真よりも、洋子が撮ってきた写真の方がいくぶんかやつれているように見えたが。

「完全に同一人物なのかどうかはわからん。ただし、カワシキ タケヒロが名簿に載ったのは今から一ヶ月前……つい最近だ」

「死因は?」

「アテにならんぞ」

「そこまでが仕事なんだ」

「……爆死だ」

 

 

「僕も驚いた。あんまり聞きなれない死因だからね」

 爆死……まるで戦時下のような響きだ。現代日本で普通に生活している上では、ほとんど縁のない死に方だと思っていた。

「どうやら作業中にプロパンガスが爆発したみたいだ。こういう業界では、そんなに珍しい死に方でもないみたいだね」

 悟郎は淡々と説明した。悟郎の探偵たる所以……私情に流されすぎない。もっと個人的な間柄なら、慰めながら、言葉を選んで説明しただろう。だが今の悟郎と洋子は、あくまでもクライアントとオプという関係だ。情けは事実を捻じ曲げる。悟郎はまるで歴史の教科書のように、爆死した人間の話を続けた。

「爆死と言っても、すぐに死んだわけじゃない。全身に火傷を負って、苦しみながらゆっくり死んだそうだ。指は何本か吹っ飛んだみたいだけど、四肢はしっかりと体にくっついていた」

 洋子は手渡された書類を眺めながら、悟郎の言葉をじっと聞いていた。うつむいていたが、泣いているのかどうかはわからなかった。

「君はこの男に会いたかったんだろう?」と悟郎は聞いた。

「……わかりません」

「じゃあ、男の生死を知ってどうするつもりだったんだ?」

「どうするつもり……だったんでしょうか」

 洋子は顔を伏せながら、懸命に考えていた。悟郎は急かすでもなく、ただ洋子の言葉を待っていた。今の洋子にかける言葉なんて何もない。

 それは、ちょうど屋上で出会った二人のような光景だった。

「もしかしたら……」

 

 

エピローグ、

 

「インコ?」

 悟郎と洋子は並んで、吉祥寺の商店街を駅に向かって歩いていた。まだ雪は降っていなかったが、空に敷き詰められた灰色の雲と冷蔵庫のような苛烈な冷気は、そう遠くないうちにその時が来ることを知らせていた。

「インコなんて探した覚えはないなぁ。そもそも君くらいの年頃の依頼人なんて初めてだ」

「えっ?」

 思いがけない悟郎の台詞に、洋子は驚いた。だって、クラスメイトのあの子は確かに言っていたのだ。この場所にある谷合探偵事務所の人が、逃げ出したインコを見つけてくれたと……。

「それって、いつの話だろう」と悟郎は聞いた。

「昔の話なら、僕の叔父さんのことかもしれないな。探偵事務所はもともと叔父さんがやってたんだ」

 なるほど、と洋子は思った。それで事務所の中があんなに古臭いデザインなのだ。家具もだいぶ年季が入っていたし、叔父さんの代から使い続けていたなら納得できる。

「あ、でも確か……探偵さんの名前はゴロウだって言ってました」

「僕の叔父さんもゴロウなんだ」

「えっ……同じ名前なんですか?」

「字は違うけどね。漢数字の五郎」

 悟郎はそう言って苦笑した。

「だから年配のリピーターが来ると、みんな驚くよ。いつの間に若返ったんだ! ってね」

 悟郎はそう言いながら「やっぱり紛らわしいかな」とぼやいた。洋子はなんだか悪いことをした気がして、慌ててフォローした。

「でも、いい名前だと思います」

「ん?」

「悟郎……いい名前です」

 悟郎は一瞬固まって、はははと笑った。

「名前を褒められたのなんて、初めてだな」

「名は体を表すというか……どことなく悟った感じがぴったりです」

「悟った感じ、ね」

 無理しなくていいのにな、と悟郎は思った。彼女は今回の結果を聞いて、少なからずショックを受けているはずなのだ。幼い頃に助けてもらった恩人――大げさでもなんでもない、彼女にとっては間違いなくそうなのだ――に、久しぶりに再会したと思ったら、男はあっさりと死んでしまった。これならたぶん、洋子は男の顔に気付かないでいた方がいくぶんマシだっただろう。でも、洋子はそれがわかってしまったのだ。勘がいい、というのもいいことばかりじゃない。

(だからこそなのか……)

 空元気、というやつなのかもしれない。

 

 

 悟郎の叔父である、谷合五郎は人が嫌いだった。正確にいえば、「人間」という種族そのものに強い嫌悪感を抱いていた。

「人間なんてろくなもんじゃない」

 それが叔父の口癖だった。親戚同士の集まりでもそうぼやくものだから、少し近づきがたい雰囲気があった。悟郎も小さな頃から叔父には会っていたが、そうした気難しさと見た目がものすごい(ガタイがよく、顔はいつも髭でぼうぼうだった)のが原因でなんとなく気まずさを感じていた。

 

「五郎が倒れた」

 悟郎が中学生だった時のことだ。仕事から帰ってきた父がそう言った。悟郎は初め父が何を言っているのかわからなかったが、すぐに父が自分ではなく叔父の五郎を指していることに気がついた。

「叔父さん、どうしたの?」

「詳しいことは病院に行かないとわからん」

 病院に……? じゃあ、叔父さんはひょっとしてもう……。

 

 

「どうしました?」

 信号待ちをしている時に、洋子が悟郎にそう尋ねた。

「なんだか泣きそうな顔をしてますけど」

「僕が?」

 悟郎は指で目を拭った。駄目だ。今でも叔父さんのことを思い出すと、わけもなく悲しくなってしまう。

「寒いせいかな」

「寒くて?」

「うん」

 それから駅に着くまで、二人は黙ったままだった。周りの人には、彼らはどう見えていただろう? 兄妹、恋人、親戚同士……少なくとも、探偵と依頼人には見えなかっただろう。それくらい、二人はまだ若かった。

 

「それじゃあ」

 改札の前までたどり着いて、洋子が先に口を開いた。

「今回はありがとうございました」

「いや……こんな結果になっちゃって」

「薄々感づいていましたから」

 薄々……?

 そうだ、と悟郎は思った。なぜ洋子が、アサダ タケヒロが生命の危機にあることを知っていたのか……それだけがわからなかったのだ。

「洋子ちゃん、ちょっと……」

「あ、電車が来ちゃいますね」

 洋子はそう言ってお辞儀をして、足早に去っていった。

「あっ……」

 洋子の後姿は人の波に紛れて消えていった。悟郎はその姿を眺めながら、答え合わせが最後まで終わらなかったことを思った。

(勘がいいからって……人の死相までわかるっていうのか)

 悟郎は三島酒店から洋子の素性に関して追伸のメールが来ていたことを思い出していた。

 

「新発田家は分家ではあるが、著名な陰陽師の家系である」

 

(まったく……敵わないな)

 男の死期がわかったのは、彼女の感覚が優れているから……。

 そんなことで納得できるわけがない。彼女はわざわざ金を払ってまで探偵である僕に男探しを依頼したのだ。ある程度の確信もなく、そんな大胆な行動ができるものなのだろうか?

 しかし悟郎には、人の直感を馬鹿にすることはできなかった。それは悟郎自身にもいえることなのだ。

「……まったく」

 悟郎はぼやきながら、腕時計のねじを巻き直した。

(RKTY’s 坂上稜線)

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