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原子心音(坂上)

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 僕の身体には時限爆弾がセットされていた。レントゲンに写った時限爆弾の黒い影は、母親が赤子を包み込むように手を広げて僕の心臓を覆いつくしていた。それを取り除くことが出来ない事実は、目の前にいる白衣の男の頑とした表情からも理解できた。

 誰が、何の目的で、僕の身体にそんなことをしたのかはわからない。心臓に時限爆弾をセットされて産まれてくる子供なんてどこにもいないのだから、誰かが意図的に僕の体に仕込んだというのが白衣の男の推理だった。それはまあ僕も同じ意見だ。問題は、僕にそのような記憶もなければ、身体の施術跡もないということだった。その誰かは僕の身体を開くこともなく、どうやってか時限爆弾を置いていったわけだ。

 

「君の身体の中には時限爆弾がある。小さな頃からずっと、君と一緒に成長しているみたいだ。もし子供のうちに爆発していたなら、それは小さな爆発で済んだだろう。せいぜい君の右腕が吹っ飛ぶくらいの。

 でもいまや君は高校生だ。大人とはいえないけど、無垢な子供っていう年齢でもない。今、君の時限爆弾が作動したなら、その爆発は君だけでなく、周りの人間も巻き込んで大変な事態になるはずだ。もちろん君は死ぬ」

 

 僕は白衣の男からそのことを聞いて、衝撃を受けるよりも先にホッとした。僕の身体の中からずっと聞こえるこちっ、こちっという音は、僕の中にある時限爆弾のものだということがわかったからだ。

 

「だからもし、君が周りの人間のことを考えるならば、君は人のいない場所へと身を隠すべきだ。もし爆発しても他人を巻き込まないような、遠くの場所にね」

 

 もっともな意見だった。僕は病気を患っているわけじゃないのだ。入院したってその辺の病気と違って時限爆弾が治ることは絶対にないし、それどころか爆発によって他の人を巻き込んでしまうかもしれない。それに僕だって、身体がどこも悪くないのに白い入院服を着せられてベッドに寝かせられるのは嫌だった。

 

 

 僕は白衣の男に薦められたとおり、山奥に移り住んだ。家族には本当のことを言って、学校には適当に嘘をついて退学した。もちろん、何の意味もなく学校を退学できるはずはないから、その嘘自体はかなり迫真なものだった。でもそれも、僕の身に降りかかったことに比べれば、名前も知らないような遠い国同士の小競り合い程度のリアリティしか持っていなかった。

 

 僕は麻酔で眠らされ、その間にどこかの山小屋に移動させられていた。僕が変な気を起こして簡単に地上に降りてこられないようにしたのだ。小屋の中にあった本やレコードには日本語が書かれていたけれども、そこが本当に日本なのかどうかもわからなかった。高温多湿な気候はどことなく日本のようだったけれども、山には日本ではまず見かけないような山菜や動物もいた。僕はしばらく考えた後で、そんなことは大した問題ではないという結論に達した。どっちにしても、人と交わらない以上はここがどこの国であろうが何の関係もないのだ。

 

 生活に必要なものは月に一度、空から降ってきた。災害の時の救援物資のように、ヘリコプターからリュックに入った状態で投下されるのだ。それは毎回、寸分違わずに同じ場所に落ちた。どれだけ風が吹いていても、どれだけ霧が濃くても、どれだけ日差しが強くても、落ちる場所は同じだった。おかげでそのリュックが地面に激突する場所だけが平らにならされていった。

 誰がそんな物好きなことをやっているのかはわからない。僕は誰からも、そのように物資が届けられるだなんて知らされていなかったからだ。若くして過酷な(それでいてどこか間の抜けた)運命を背負った僕を不憫に思った両親の親心かもしれないし、僕を山奥に隔離せざるを得なかったプライドの高そうな白衣の男の仕業かもしれない。

 

 いずれにせよ、僕はその物資のおかげでかなり恵まれた生活を送ることができた。そして――不思議なことだけど――僕はその山奥で一人で暮らすようになってから、すっかり元気になってしまった。体内で聞こえる規則的な音の正体がわかったから、寝不足にならなくなった。よく眠れるようになったから、体調を崩すこともなくなった。自然のものを食べているから、身体もすっかり丈夫になった。身体をよく動かすようになったから、体格もがっちりとしてきた。

 もっとも、そんな変化も、時限爆弾の前には何の意味もない。どれだけ健康になったとしても、どれだけ身体が丈夫になったとしても、時限爆弾の爆発に耐えられずはずがないのだ。それどころか、僕の身体がすくすくと成長していくのに伴って、爆弾の威力もどんどん上がっていくのかもしれない。それは白衣の男も似たようなことを言っていた。

 

 

 その山小屋に移り住んでから、死の実感というものを僕は強く感じるようになった。それまで僕は死を意識したことは一度もなかった。親戚は皆あきれるほど元気だったし(九十歳にもなって熊を猟銃で撃ち殺すのが僕の祖父なのだ)、幸いなことに僕の知り合いにも事故や病気で早死にするような人は一人もいなかった。それはそれで幸福なことなのかもしれないが、おかげで僕はこれまでの短い人生において「死」と面と向かって相対した際の立ち回りというものを心得ることができなかったのだ。

 

 死の実感は初め、僕を苦しめた。人気のない山奥で一人になったことで、より僕が死に近づいているような感覚になったからだ。動物が木々の狭間を駆け回るかさかさという音や、山小屋の隙間から入り込んでくる夏とは思えないほどひんやりとした空気、そしてじっとりと湿った地面から立ち上る水の粒といったものが、僕には死の国からの使いのように思えてならなかった。

 だから僕はそうした感覚(恐怖と言ってしまってもいいかもしれない)を断ち切るために、山小屋の中にあった文化の欠片を必死になって寄せ集めた。おかげで僕はジャズの演奏の細かい違いを聞き分けられるようになり、ステッペン・ティーガーデンの著作のほとんどを読破した。ティーガーデンの描く物語は基本的に悲壮感溢れる結末を迎えるものしかなかった。「基本的に」、というのは、その悲壮感が作品によって多少の振れ幅があるという意味であって、わかりやすく言い換えるならば「ハッピーエンドを迎えた作品は一つもなかった」ということになる。

 僕はそのあまりに強引なバッドエンドにはあまり共感を覚えることができなかった。『春の波打ち際(Beachside at the spring)』では主人公と結ばれた若い女性が何の意味もなく自殺し(僕はその主人公と同じように激しく混乱した)、『夜に舞い降りる星の影(The Star’s shadow)』では苦労を乗り越えて世界一高い山に登った主人公があまりに強い光を放つ星の瞬きに目を潰されてしまう。どの作品もそんな具合で、まるでギリシャ悲劇に出てくるデウス・エクス・マキナの正反対のような印象を受けた。バッドエンドに持っていくための物語作りになっていないのに、こじつけみたいな形でどうしても悲劇で終わってしまうのだ。

 

 その一方で、僕はティーガーデン本人にいくらかの興味が湧いた。こんな歪んだ物語を作り出す人間は、いったいどのような人物だったのだろう? どれだけ整然とした物語を紡ぎだしても悲劇で終わらざるを得ないのは、どういった理由だったのだろう?

 しかし、今の僕が得ることの出来るティーガーデンについての情報は、表紙の折り返しについていた白黒の写真と簡単な経歴だけだった。写真の中のティーガーデンは四十半ばほどの年齢で、顔の輪郭全てを白い髭で覆い隠し、極端な垂れ目で、レンズに目を合わせずに俯いていた。経歴には有名な著作と何年にどこの大学を卒業したかが書かれていた。そんなものがわかったって、ティーガーデンの深層は何もわからないのだ。

 

 

 ある朝、目が覚めると心臓の音が大きくなっていることに気がついた。いや、正確には心臓の音ではなくて、心臓に絡みついた時限爆弾が時を刻むこちっ、こちっという音だ。

 いよいよか、と僕はその時思った。時限爆弾の音が大きくなることと爆発が近くなることの因果関係については何もわからなかったけれど、少なくともあまりいい方向には行ってないだろうな、というのは直感で理解できた。

 

 実際に爆発するとなるとどれくらいの規模の爆発になるんだろうな、と僕は考えた。たぶんこの山小屋なんかは簡単に吹っ飛んでしまうだろう。白衣の男に事実を告げられた時点でさえ、周りの人を殺傷しかねない威力だと予測されていたのだ。僕の身体は細かく千切れ飛び、肉は山に住む動物たちの餌になり、食べ残しは土に戻っていく。

 死を前にした僕の心は思った以上に落ち着いていた。むしろさっさと終わってくれないかな、とさえ思うようになった。それはちょうど高校の音楽のテストと同じようなものだった。前で歌うのが恥ずかしいだけなのだ。点数が良かろうが悪かろうが、さっさと終わってしまった方がラクでいい。死の実感も、僕の身体の中にすっかり溶け込んでしまっていた。

 

 僕は激しく脈打つ心臓を抱えて、ひとまず朝食を食べることにした。変な話にも思えるが、腹が減って仕方がないのだ。僕はすっかり固くなってしまったパンを小さくちぎって食べながら、缶のコンビーフを食べた。喉が渇いたのでポリタンクに貯めた水も飲んだ。死が近くても、口にする物の味はそれほど変わらなかった。

 食事が済んでしまうと、僕は適当なレコードを蓄音機にかけてベッドの上に寝転んだ。そしてティーガーデンの本を読むことにした。レコードと同じように適当に本棚から手に取った本は『萌木に立つもの(Stand by Sprouting tree)』だった。僕はそれを既に四回読み通していた。田舎の農家に住むパッとしない青年が主人公で、牛と一緒に間違えて出荷してしまった妹の犬を連れ戻しに都会まで繰り出すというストーリーだ。きらびやかな都会の暮らしや都会の女性とのラブロマンスといった(ある意味でステレオタイプな)紆余曲折を経て、どうにか犬を連れて田舎の実家まで帰ってくるのだ。しかし田舎の街は未知の伝染病が大流行していて、警察によって封鎖されてしまっていた。主人公は危険を承知で実家に戻ると、そこでは腐敗した死体となった愛する家族が倒れていた……という、相変わらずの悲劇だ。

 僕はその本を読み進めていくうちに、こんなにすらすらとティーガーデンの本のあらすじを語れるのは、たぶん同年代の人間では僕くらいなものだろうな、とふと思った。このまま死んだとしても、あっちでティーガーデンと仲良くやれるかもしれない。ティーガーデンだって、東洋の国の若い少年が自分の著作を読み漁っているなんて考えもしなかっただろう。あいにく英語の成績はあまりよくないけれども、まあ死んだ後の方が時間はたくさんあるのだ。どうにでもな

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絵描き: 雪松
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